10月18日 礼拝メッセージ ~聖霊降臨節第22主日~

『約束と現実の間で主を仰ぐ』

聖書:創世記11章27節〜12章9節(旧p17)

メッセンジャー:森英樹師

前回は、アブラハムが神様を信頼して一歩を踏み出した信仰に学びました。今回は、その一歩を踏み出した後、信仰者はどのように歩むのか、三つの御言葉から学びます。

 1.「ハランまで来ると、そこに住んだ」― 途中で立ち止まる私たち(11:31~12:1)
アブラムの父テラは、カナンを目指してウルを出発しましたが、途中のハランに住むようになりました。その理由は記されていません。しかし私たちも、かつて御言葉に従って歩み始めながら、いつの間にか現状に慣れ、歩みを止めてしまうことがあります。
御言葉を知っていることと、今日その御言葉に聞いていることは同じではありません。 
主は私たちにも「もう一度、ここからわたしと歩もう」と語りかけてくださるお方です。
教会も過去の恵みに感謝しつつ、これから主がどこへ導かれるのか、御声に聞き続ける群れでありたいのです。

 2.「そこに祭壇を築いた」― 塔ではなく、祭壇を残す人生(12:7~8)
バベルの人々は「われわれの名をあげよう」と塔を建てました(11:4)。しかしアブラムは、主のために祭壇を築き、「主の御名を呼び求め」ました。 自分の名をあげるための塔か、主の御名を呼び求めるための祭壇か。 私たちは人生に何を築こうとしているでしょうか。 祭壇には「私が何を成し遂げたか」ではなく、「主が何をしてくださったか」が刻まれます。「あの時、主が助けてくださった」「御言葉をくださった」「祈りに答えてくださった」。そのような主の真実を証しする祭壇こそ、次の世代に手渡したい信仰の遺産です。

3.「その地にはカナン人がいた」― 約束と現実の間に祭壇を築く(12:6~9)
アブラムが到着した約束の地には、すでにカナン人が住んでいました。しかも「あなたの子孫にこの地を与える」と約束されながら、まだ子どもさえ与えられていませんでした。神様の約束と目の前の現実には、大きな隔たりがある場合もあります。 しかし主は、もう一度アブラムに現れて約束を語られました。そしてアブラムは、約束が実現する前に、その場所に祭壇を築いたのです。
信仰とは、約束が実現した後で、神様をほめたたえることだけではありません。約束と現実の間に立ちながら、それでも主を仰ぎ礼拝することです。
さらにアブラムは「なおも進んで……旅を続け」(9節)ました。祭壇は、そこにとどまり続けるためではなく、主を仰ぎ、再び歩き出すための場所でもあります。

 結び ― 塔ではなく、祭壇を
私たちも、歩みが止まったり、約束と現実の間で戸惑ったりすることがあります。しかし、今いるその場所に祭壇を築くことができます。 自分の名を残す塔ではなく、主の真実を証しする祭壇を築きましょう。 そして次の世代に、「私たちが立派だったからではなく、主が真実でいてくださったから、ここまで来ることができた」と証ししながら主とともに歩む、横浜栄光教会そのものである私たちであらせて頂きましょう。

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