『あなたの人生を支えているものは何ですか』
ルカの福音書16章19-31節(新p151)
メッセンジャー:森英樹師
イエス様は、豊かな金持ちと、門前に横たわる貧しいラザロという、対照的な二人について語られました。一人は多くのものを持ち、もう一人はほとんど何も持っていませんでした。しかし、やがて二人とも死を迎えます。この二人を分けたのは、「何を持っていたか」ではなく、「誰により頼んで生きたか」でした。
1.あなたを支えているものは、
金持ちは紫の衣を着て、毎日ぜいたくに暮らしていました。財産も食べ物も住まいもあり、人の目には恵まれた人生に見えたでしょう。しかし、それらのものは彼を死から守ることはできませんでした。一方、ラザロには何もありませんでした。しかし「ラザロ」という名には、「神は助けてくださる」という意味があります。財産、健康、仕事、家族、人からの評価。それらは神様から与えられた大切な恵みです。しかし、それらを人生の土台とするなら、いつか失われる時が来ます。「今、私を支えているものは、死を越えてなお私を支えることができるだろうか。」この物語は、死後に二人の人生が単に逆転したというだけではありません。むしろ、死によって、生前には見えなかった二人の人生の真実が明らかになったのです。
2.誰により頼んでいるかは、その人の生き方に現れる
金持ちの門前には、ラザロがいました。遠くにいたのではありません。金持ちはその存在を知りながら、毎日のようにその前を通り過ぎていました。生前、二人を隔てていたのは「門」でした。しかし死後には、それが越えることのできない「大きな淵」となりました。金持ちには「モーセと預言者」、すなわち神の御言葉が与えられていました。そして、その御言葉を生きる場所も、すぐ門前に与えられていたのです。信仰は「神様を信じています」と告白するだけのものではありません。本当に神様により頼む信仰は、時間の使い方、人との関わり方、お金の使い方、赦し方、愛し方、弱い人への眼差しとなって現れていきます。私たちにとっての「門前のラザロ」は誰でしょうか。
3.死を越えて私たちを支えるお方がおられる
金持ちは「死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行けば、彼らは悔い改めるでしょう」と願いました。しかしアブラハムは、「モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえだれかが死人の中からよみがえっても、聞き入れはしない」と答えました。そして、この物語を語られたイエス様ご自身が、やがて十字架で私たちの罪を負って死なれ、三日目によみがえられました。お金も、健康も、地位も、人からの評価も、死を越えることはできません。しかし、死を通り、死を打ち破ってよみがえられたイエス・キリストは、死を越えて私たちを支えることのできるお方です。福音とは、私たちが強くなって神様により頼めるようになることではありません。私たちがより頼むことのできるお方が、すでに私たちのところへ来てくださったという知らせです。だから主が問われるのは、「あなたは何を持っていますか」ではなく、「あなたは誰により頼んで生きていますか」ということです。
そして、本当に主により頼んでいるなら、その信仰は、今、私たちの「門前」に置かれている人を愛し、赦し、分かち合い、心を向ける生き方となって現れていきます。
いつの日か地上の生涯を終える時、「私はこれだけ持っていました」ではなく、「私を支えてくださったのは主でした」と告白する者として、死を越えてなお支えてくださる主に、すべてを委ねて歩ませていただきましょう。
