『回復の道を備えたもう神』
聖書:創世記3章9-24節(旧p4)
メッセンジャー:森英樹師
人類最初の罪は、神との関係だけでなく、人と人との関係、自分自身との関係、そして世界との関係までも壊しました。しかし創世記3章は、人間の失敗の記録で終わるのではありません。神が罪人を救うために、直ちに回復の計画を始められた希望の物語です。
1.罪は人を神から遠ざけ、責任転嫁へと導く
罪を犯したアダムとエバは、自らの裸を恥じ、神の御前から身を隠しました。そしてアダムはエバを、エバは蛇を責め、自らの罪を認めようとはしませんでした。罪は神への信頼を失わせ、人を恐れと自己防衛、責任転嫁の中に閉じ込めます。
2.罪は人生の祝福を苦しみに変えてしまう
罪以前には労働や家庭は神の祝福でした。しかし罪によって、夫婦関係には支配と対立が入り込み、子育てには深い痛みが伴い、労働も喜びから重荷へと変わりました。罪は神との断絶だけでなく、人間のあらゆる営みに苦しみをもたらします。
3.神は直ちに救いと回復の道を備えられた
それでも神は人を見捨てられませんでした。創世記3章15節では、女の子孫であるキリストが蛇の頭を砕くとの最初の福音が語られます。また21節では、神ご自身が動物を屠り、皮の衣を着せました。これは、罪には代償が必要であることと、その代償をやがて「世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1:29)であるキリストが負われることを、指し示しています。
私たちへの適用
創世記3章は、人類の絶望ではなく、神の希望の始まりです。私たちも弱さや失敗、罪を抱えています。しかしキリストの十字架と復活によって、人生は「しかし」でつながるものとなりました。
私は弱い。しかし、キリストは強い。
私は罪深い。しかし、キリストは義である。
私は失敗する。しかし、キリストは回復してくださる。
私には望みが見えない。しかし、キリストは希望そのものである。
創世記3章は、人間が神から離れた物語では終わりません。
神が人間を取り戻すために歩き始められた物語です。
私たちの人生もまた、キリストにあって「しかし」で始まる新しい物語へと変えられるのです。
