『あなたには、まだ今日がある』
ルカの福音書16章27-31節(新p152)
メッセンジャー:森英樹師
ある金持ちとラザロの話を三回にわたって学んできました。第一回は「誰により頼んで生きるのか」、第二回は「永遠を前に、今日をどう生きるのか」。そして今回は、金持ちとアブラハムとの最後の会話から、まだ地上に生かされている私たちへの呼びかけを聞きます。
1.「彼らまでこの苦しみの場所に来ることがないように」
死後の現実を知った金持ちは、地上に残された五人の兄弟を思い、「ラザロを遣わしてください」と願いました。彼自身には、もう人生をやり直す「今日」はありません。しかし五人の兄弟には、まだ御言葉を聞き、神に立ち返ることのできる今日がありました。そして私たちも、五人の兄弟の側にいます。「あなたには、まだ今日がある。」
2.「彼らにはモーセと預言者がいる」
金持ちは「死人の中からだれかが行けば、兄弟たちは悔い改める」と考えました。しかしアブラハムは、「彼らにはモーセと預言者がいる。その言うことを聞くがよい」と答えます。
問題は、神様が語っておられないことではなく、人が御言葉に耳を傾けようとしないことでした。金持ちには御言葉があり、門前にはラザロがいました。つまり、御言葉と、その御言葉を生きる場所の両方が与えられていたのです。御言葉を聞くとは、ただ知ることではなく、その御言葉によって今日の生き方を変えていただくことです。
3.「たとえだれかが死人の中からよみがえっても」
この言葉を語られたイエス様ご自身が、やがて十字架にかかり、死人の中からよみがえられました。そして復活の主は、エマオへの道で「モーセやすべての預言者たちから始めて」、ご自分について聖書全体から説き明かされました(ルカ24:27)。
聖書は、私たちをキリストへと導きます。「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。」(ヨハネ5:39)今を生きる私たちには、モーセと預言者があり、さらに、聖書が指し示してきた復活のイエス・キリストが与えられています。
あなたには、まだ今日がある
明日ではなく、今日です。今日、キリストにより頼むことができます。祈ることができます。愛することができます。赦すことができます。「ごめんなさい」「ありがとう」と言うことができます。そして、「主よ、この私をあなたにお委ねします」と祈ることができます。
過去の失敗や後悔に捕らわれ続ける必要はありません。今日が与えられている限り、主におささげできる今日があります。愛され、赦され、御言葉に聞き従う恵みの中を、今週も歩ませていただきましょう。
