『神の国を見つける人生を生きる』
聖 書 ヨハネの福音書2章1-11節(新p178)
メッセンジャー:森英樹師
神の国とは、死後に行く天国だけを意味するのではありません。王なるイエス・キリストが私たちのところに来てくださり、その御支配が現されるところに、すでに神の国は始まっています。そしてその完成は、キリストの再臨によってもたらされます。
神の国は目に見える領土を持つ国ではありません。しかし、風そのものは見えなくても、風が吹けば木の葉が動くように、神の国もそこに生じる変化によって、その働きを知ることができるのです。
1.王なるキリストに従うところに、神の国が現れる(ヨハネ2:
カナの婚礼でぶどう酒がなくなった時、マリアはイエス様にその必要を伝えました。最初はマリアも自らが主で、息子イエスを自分のニーズのために動かそうとしました。しかし「女の方、……わたしの時はまだ来ていません」(4節)に、自らを王としていたことにハッと気づかれたマリアは「あの方が言われることは、何でもしてください」(5節)と給仕の者たちに語りました。その時イエス様の時は満ち、御国の支配が開かれたのです。そして彼らがイエス様の言葉に従った時、水がぶどう酒に変えられるという最初の「しるし」が現されました。このしるしは、イエス様の栄光を現し、弟子たちを信仰へと導きました。私たちも、自分の願いを主に押しつけるのではなく、主を王として信頼し、その御言葉に従う者でありたいのです。
2.王を信頼して近づくところに、神の国が見えてくる(
十二年間、長血を患っていた女性は、「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と信じ、イエス様に近づきました。ここでもこの時、神の国が開かれたのです。主は彼女を癒やされただけでなく、「娘よ」と呼びかけ、平安のうちに送り出されました。ここには、病の癒やしを超えて、一人の女性の人生を回復される神の国の恵みが現れています。御業の主体はいつも主ご自身です。願いが思いどおりにならない時にも、私たちは不信せず、主の愛と真実を信頼することが鍵となります。その時あなたは驚くべき神様の栄光とご愛に触れることになるでしょう。
3.今日も「ここに神の国が来ている」と見つける
神の国は、二千年前の奇蹟の中にだけ現れたのではありません。今日も、福音を信じる人が起こされ、罪を悔い改め、赦せなかった人を赦そうとし、隣人を愛し、誰にも知られずに仕える人がいます。そこにも王なるキリストの御支配が現れています。
暑い日に教会の草刈りをしながら、神様が送ってくださる涼しい風に愛を感じ、感謝する姉妹の姿にも、神の国の喜びを見ることができました。私たちも、家庭で、職場で、人間関係の中で、そして教会で、「主よ、あなたの御心がここでも行われますように」と祈りつつ、今日も神の国を見つける人生を歩ませていただきましょう。
