9月13日 礼拝メッセージ ~聖霊降臨節第17主日~

『あなたがここにいてくださること』

聖 書 詩篇92篇(旧p1031)

敬老の日には「いつまでもお元気で」「まだまだ頑張って」と言われます。しかし教会が今日お伝えしたいのは、「あなたがここにいてくださることを、私たちは感謝しています。」ということです。長い人生には、喜びだけでなく、病、別れ、祈っても思うようにならなかったこと、信仰が揺れた時もあったでしょう。それでも今日ここにいて、主を礼拝しておられる。その姿を詩篇92篇は「年老いてもなお実を実らせる」と語ります。
第1「主の家に植えられた」(13節)
「主があなたをここまで育ててくださった」。木は自分で自分を植えることはできません。植える方がおられます。信仰生活を振り返る時、私たちはやがて、「私が主についてきたと思っていた。しかし本当は、主が私をここまで運んできてくださった。」と気づかされます。私たちが主を支えてきたのではありません。主が私たちを支えてくださいました。私たちが主の手を握り続けてきた以上に、主が私たちの手を離さず握ってくださったのです。だから今日も、ここにいることができます。
第2「年老いてもなお実を実らせ」(14)
「実の形は変わっても、実を結ぶことは終わらない。」とは「年を重ねても、もっと頑張りましょう」という意味ではありません。人生の季節が変われば、実の形も変わってよいのです。働くこと、奉仕することから、祈ること、励ますこと、話を聞くこと、感謝すること、赦すこと、そして今日も主を礼拝することへ。長い年月主と歩んだ方が礼拝堂で聖書を開き、賛美し、祈っておられる。その姿自体が、「信仰とは一時の熱心ではなく、生涯を主と共に歩むことなのだ」という次の世代への証しです。あなたが主につながって歩んでおられること自体が、この教会に実を結ばせています。
第3「主は正しい方」(15)
「私が真実だったのではなく、主が真実でいてくださった」。詩篇92篇の最後に出てくるのは、「私はこれだけのことをしました」ではありません。「主は正しい方」という告白です。長い人生には、今も答えの出ないことがあります。それでも、「いろいろありました。でも、主は真実なお方でした。」と告白する。私たちが今日まで信仰を守ってこられたのは、私たちがいつも真実だったからではありません。主が真実でいてくださったからです。その神の真実が最もはっきり現されたのが、イエス・キリストの十字架です。弱さも罪も失敗も抱えた私たちのために、キリストは十字架にかかってくださいました。だから私たちは何度つまずいても、十字架のもとへ帰ることができます。これこそ、次の世代へ手渡したい福音です。
結び
主がここまで育ててくださった。年老いてもなお実を結ばせてくださる。そして最後に残る最も美しい実は、「主は真実なお方でした」という証し。
恵老祝福の祈りをお受けになる皆さん。あなたがここにいてくださることを、私たちは心から感謝しています。そして若い世代も、いつの日か、「私が主を離さなかったのではありません。主が私を離されなかったのです。」と告白できる人生を歩ませていただきましょう。

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