『主の問いによって生み出された教会として』
聖書:マタイによる福音書16章13-20節(新p33)
メッセンジャー:森英樹師
聖書の中で神様が人間に最初に投げかけられた問いは、「あなたはどこにいるのか。」(創世記3:9)でした。
神様の問いは、単に情報を集めるためのものではありません。人の心を開き、神様との関係へと招くための問いです。
同じように、イエス様も弟子たちに二つの問いを投げかけられました。
「人々は人の子をだれだと言っていますか。」(13)
「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」(15)
この問いによって、弟子たちの内にある信仰は引き出されたのでした。
1.主は「人々の評価」から「あなた自身の信仰」へと導かれる
群衆はイエス様を、バプテスマのヨハネ・エリヤ・エレミヤ・預言者の一人と考えていました。
しかし、それらは人々の期待や願いを通して見たイエス像でした。
私たちもまた、問題を解決してくれる方・願いを叶えてくれる方・平安を与えてくれる方
として主を見ることがあります。
しかし主は、そこに留まらず、「では、あなたは私を誰とするのか」と問われます。
信仰は人の評価ではなく、自分自身との対話から始まります。
2.主の問いは私たちの内に信仰を生み出す
ペテロは答えました。「あなたは生ける神の子キリストです。」(16)この告白は、知識や能力から生まれたものではありません。
イエス様は、「このことを明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です」(17)と言われました。
主の問いは試験ではなく、私たちの内に与えられた信仰を外へと生み出す「助産師のような問い」です。
未熟であったペテロも、この告白から信仰者としての歩みを始めました。主は完成した人を用いるのではなく、告白する者を育ててくださいます。
3.主はその告白の上に教会を建てられる
イエス様は言われました。
「わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます」(18)と。
教会の本質とは、建物でも、制度でも、活動でもありません。キリストへの信仰告白の上に建てられるものです。
そして教会は、建てるのも主、守るのも主、完成させるのも主。すなわち主ご自身のものです。
私たちは、教会そのものとして生きるように招かれたのです。何より教会をすればよいのです。
結び
私たちに必要なのは、「あなたは生ける神の子キリストです」との告白をかかげて歩むこと。教会とは、キリストを告白し、神を愛し、隣人を愛し、キリストを現して生きる私たち自身、主が建て上げてくださる私たちとして、今週も遣わされた場所でキリストを証しする教会として遣わされましょう。
