7月12日 礼拝メッセージ ~聖霊降臨節第8主日~

『人は衣を着ていたか』

聖書:創世記3章1-9節(旧p4)

メッセンジャー:森英樹師

導入
神様は人をご自身のかたちに創造し、エデンの園に置かれました。そして、「園のどの木からでも思いのまま食べてよい」(2:16)と、豊かな自由を与えられましたが、ただ一つ善悪の知識の木からは食べてはならないと命じられたのです。

1.サタンは神の愛と真実を疑わせる
蛇はエバに、「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか」(3:1)と問いかけました。神様は「どの木からでも食べてよい」と語られたのに、蛇は「どの木からも食べてはならない」と、神のことばを正反対に言い換えました。これは、神様のことを自由を奪う厳しいお方であるかのように思わせ、神の愛と真実を疑わせるためでした。
サタンの誘惑は、初めから露骨な反逆として近づくとは限りません。「もし神様が愛なら、なぜこのようなことを許されるのか」と、神への信頼を揺さぶるところから始まります。

2.神のことばから離れるとき、人は誘惑に勝てない
エバは蛇に答える中で、神様が語られていない「触れてはならない」(3:3)ということばを加え、「必ず死ぬ」という警告を弱めて語りました。神のことばに自分の考えを加えたり、その権威を薄めたりするとき、人はいつの間にか自分を神より高い位置に置いてしまいます。エバは神様を弁護しようとしましたが、その心の中に、自分の判断を神のことばより上に置く高ぶりが入り込んでいきました。
主イエス様は荒野で悪魔の誘惑を受けられたとき、三度とも「……と書いてある」(マタイ4:4)と、神のことばによって退けられました。罪の誘惑に打ち勝つ秘訣は、自分の知恵や力ではなく、神のことばから離れないことです。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」マタイ4章4節

3.人が失ったのは「神への信頼」という衣でした
アダムとエバは裸でしたが、恥ずかしいとは思いませんでした。二人は目に見える衣ではなく、神の愛と真実を信頼するという衣に包まれていたからです。しかし、信頼の土台を神様から自分自身や他のものへ移したとき、自分の裸を恥じ、いちじくの葉で覆わなければならなくなりました。神への信頼を失った人は、ありのままの自分を受け入れられず、お金、地位、能力、学歴、所有物などによって自分を守ろうとします。そして、劣等感と優越感、恐れと焦り、競争と孤独の中に捕らえられてしまうのです。
しかし、神様は罪を犯した二人を見捨てず、「あなたはどこにいるのか」(3:9)と呼びかけられました。サタンは人を誘惑しても、その人生に責任を負いません。けれども神様は、罪に死んだ者をなお尋ね求め、救いへと招いてくださいます。

罪の根源は、信頼の土台を神以外のものに移すことです。人間の理性、科学、哲学、経済、医学などは大切ですが、それらを神のことば以上の土台とするなら、私たちの魂を最後まで支えることはできません。天地が消え去っても、決して消え去らないものは神のことばです。神様の愛と真実を疑わせる声に騙されず、キリストを着て、神のことばに信頼して歩みましょう。「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」(マタイ24:35)

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