3月22日 礼拝メッセージ ~四旬節第5主日~

メッセージ「すべてのことがともに働いて益となる」

聖書 ローマ人への手紙8章26-30節

メッセンジャー 高江洲伸子牧師

ローマ人への手紙8章を1節から詳訳聖書と新改訳2017を読み比べてみました。

1節「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(新改訳2017)は、詳訳聖書では、「それゆえ、今は、肉の命ずるところに従ってではなく、み霊の命ずるところに従って生きるキリスト・イエスにある者には、処罰<非行の責任を問われること>はありません。」(※ヨハネ3:18「御子を信じる者はさばかれない」)

「こういうわけで、」「それゆえ」は1章から7章の記述を指し、「キリスト・イエスにある者」とは5節の「肉の命ずるところに従ってではなく、み霊の命ずるところに従って生きるキリスト・イエスにある者」を指している。詳訳聖書はこの5節を、「肉による<肉のきよからぬ欲望によって統御されている>者は、肉を満足させることに専念し<それを追求しま>ますが、み霊による<み霊の〔願いに統御されている〕>者は<聖>霊を満足させることに専念する<それを追求する>からです。」と記述。更に、14節では「神の御霊に導かれている人はみな、神の子どもです。」と記す。パウロは、この前提に立って、8章28節「神を愛する者たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たち知っています」と言っています。

神の子らへの神の配慮

26,27節 神の子らへの聖霊の執り成し (イザヤ9:6)

聖霊は弱さの中にある人を執り成し助けられますが、私たちキリスト者は、「祈り」について弱さを覚えます。これは、神の子でない人には覚えのない弱さと言えます。「私たちは、何をどう祈ったら良いかわからないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。」(26b) ここでの「とりなし」という言葉は、「代わって」と「懇願する」ということばの複合体で、問題がふりかかっている人のために(その人に代わって)助けを懇願すること。聖霊のとりなしは、「言葉にあらわせない、切なるうめき」をもってなされる。「うめき」は心の強い願い。それは、言葉では言い表せない、心の深いところにある祈り。それほどに強いとりなしの祈りが、聖霊によって私たちに注がれている。

キリストは天にあってとりなし(Ⅰヨハネ2:1 へブル7:25 ロマ8:34)聖霊はわたしたちと共に、わたしたちの内にあってとりなしてくださる。(Ⅰコリント2:10,11) 父と御霊は相互に、深いところでみ旨を知っておれる。その御霊が、聖徒のためのとりなしをしてくださるので、神の御前にあるキリスト者の祈りは、弱さの中にあってもきかれる。

28節 神の子らへの神のご計画 (エレミヤ29:11) ※先行恩寵(ウエスレー)

人は、神の計画を知るとき不安定の中で確かさを覚えます。旧約聖書で示された神の救いのご計画は、時が満ちてイエス・キリストがこの世に来られ成就しました。(エペソ1:10,11) 「計画」(プロセシン)は、「目的」とも訳される言葉ですが、計画の神は、万事を益にしてくださる(28) 口語訳では、「神は・・・召された者と共に働いて、万事を益となるようにして下さる」と訳し、すべての事柄の中に働いて、神のご目的のもとに一切を導かれている摂理の神であるとパウロは言い、日常生活の中でこのことを体験しながら私たちは生きている。 「益となるように」は「善となるように」とも訳せる。キリスト者の善(益)とは何か。それは、29節の「御子のかたち」に似た者となることで、栄化の恵みにまで進む。この大目的のために万事が益に働き善となる。

29、30節 神のご目的はキリスト者が神に似てゆくこと。

「神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。」(29、30)

神の定め(み思い)は、み子のかたちに似た者とものとすること。人類の祖であるアダム・エバ以来、人類に罪が入り、罪のウイルスは神の形を破壊して今日に至っている。その回復の為に、神の形である御子キリストがこの世に来られ(ピリピ2:6,7)た。このキリストによって、わたしたちは新しい人に造り替えられ、私たちの内に神のかたちが回復される。わたしたちの内にキリストのかたちが形づくられ(ガラテヤ4:19)、御霊によってキリストのかたりが形成されていく(Ⅱコリント3:18)。そしてそのゴールは、キリストに似る者となること(Ⅰヨハネ3:2)。クリスチャンは、一つ一つの経験を通してキリストの形に変えられてゆく。

「長子」(プロートトコス)は、別のランクの者と言う意味。※コロサイ1:15 独特な子、つまり、(かつては、)長子は他の兄弟たちとは違った特異な立場にいた。ユダヤの家系では特にそうであって、長兄はその家を継ぐ家督の権をもっていた。(例;ヤコブとエソウの相続問題) キリストは、ユニークな立場にありつつ、しかも人の兄弟となられた。つまり、神の子でありつつ、人の肉体をとって兄弟となられたのである。

30節は28、29節のまとめ。 ※カレオー→呼び出された者

神による定め、それは、世から召し出す行為に表れ、義とし、栄光の恵みへと進ませる。

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