メッセージ 『宣教者の喜びと感謝の祈り』
聖書 ピリピ人への手紙1章1-11節(新p394)
メッセンジャー 高江洲伸子牧師
ピリピ人への手紙が書かれた背景と手紙の特徴
手紙が書かれた年代は、紀元61年頃、パウロがローマの獄中から書いたとされている。手紙を書いた理由の一つは、ピリピ教会からの贈り物をエパフロディトが獄中のパウロに届けたことへの感謝(4:15,16)と、教会内にあったいくつかの小さな問題、<会員同士の対立(2:34、4:2)、ユダヤ(律法主義者)の危険(3:2,3)、反律法主義者の問題(3:18,19)>についても教えと警告を発している。
この手紙の特徴は、4章からなる手紙の中に「喜び」「喜ぶ」が16回使われているところから、「喜びの手紙(書簡)」と言われている。これは、他の獄中書簡には見られない。また、「福音」(ユーアンゲリオン)という言葉が各所にでてくるところから、一宣教者の手記としても知られている。
挨拶
「イエス・キリストにあるすべての聖徒たち」(1)は、キリストの為に世から区別されたすべての人たちのことを指している。
「恵みと平安」(2) これは、世の人たちには必要ないが、クリスチャンには最必要事項とされる。執筆者パウロにとってのピリピ教会は、思い出すごとに、また祈る度に、感謝と喜びがでてくる。共に福音宣教に携われたことが感謝でならない、そのような教会だった(3,4,5)。
「あなたがたの間で良い働きを始められた方」(6) パウロの働きで教会は設立されたにしても、一人一人を霊的に誕生させてくださったのは、パウロではなく、神ご自身である。それゆえパウロは、神様を指して、「あなたがたの間で良い働きを始められた方」と言う。ここでの「良い働き」とは、主イエス・キリストを信じて、生まれ変わらせて頂いた時だけのことではなく、その時から始まって、現在も働き続けてくださり(ピリピ2:13、3:12、ロマ8:28)、やがて完成の時に至るところの「良い働き」である。「完成の時」とはイエス・キリストの再臨の時である。「私たちの救いが、神によって開始され、絶え間なく続けられ、ついに完成に至るということは、私たちの救いの確かさが神にあるということである。」と、尾山令仁師は書いている。
祈り(9~11)
「あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、」(9)
愛が知識によらないで燃え上がる時には、盲目的になり、その熱心さはしばしば自分の義を主張するようになりかねず(ローマ10:2,3)、その為、かえって人に害を与えることがある。‥・そこで、本当の愛が正しい筋道において豊かになっていくためには、どうしても<知識とあらゆる識別力>の助けが必要である。・・・この知識とあらゆる識別力の助けによって愛は健全に成長してゆく。
※ここで注意したいことは、<知識とあらゆる識別力>が<愛>の助けによって成長していくようにとは祈っていないで、むしろ<知識と識別力>にの助けによって<愛が・・・いよいよ豊かになり>成長してゆくようにと祈っている点である。主体はあくまでも<愛>にある。愛が人格を健全に成長させていくからである。(尾山令仁師)
人格が健全に成長してゆくと、「大切なことを見分ける」(10)ことができるようになる。
「最も重要なことと、そうでないこととを見分ける価値観をもつことができる」(チェーンバイブル)。私たちが愛のうちに成長してゆくとき、神の国における真の識別力や洞察力を備えることができるようになる。神の国において、人は、単にお人よしであるとか、同情心があるとか、涙もろいとかということではだめであって、世の光、地の塩としての役割を果たしていくには、どうしても鑑識眼や洞察力が必要になってくる。
パウロは続いて、「純真で非難されるところのない者となり、」(10)と祈っている。信仰の成長において最も重要なのは<純真さ>である。幼子のような謙遜な心の態度で常に学んでゆこうという開放された心こそ、成長している姿であるからである。
・・・本当の<愛>が健全に成長していくことによって、主イエス・キリストの御霊が<魏の実を>たくさん結ばせてくださる故、「イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現わされますように」(11)とパウロは祈る。
(参考書 新聖書注解 新約3 執筆者 尾山令仁)