12月5日 礼拝メッセージ

「夫ヨセフのクリスマス」

聖書:マタイの福音書 18-25 節

メッセンジャー:高江洲伸子牧師

クリスマス、なぜ、神が人となられたのでしょう。
例えば「蟻の行列」。蟻は、餌を見つけると、巣にもどる時に匂いのある液を垂らすそうです。その放った液のにおいを辿って、行列ができるそうです。ですから、最初の蟻の歩んだ道が曲りくねっていると、続く蟻たちも皆その後を行きます。人がその行列を見ていて、あの手この手で最短のストレートの道へ蟻を導こうとしても、その道を変える事はできません。そこで、蟻を見ていた人が、「こうなれば、私が蟻になって、最短の道を教えたらどうだろう」と思ったとすればどうでしょう。
 天の父は、ご自分の造られた最初の人、アダム、エバ夫妻が犯した罪により、人類が神様のみ思いと全く違う方向へ歩んでいる姿をご覧になって、み旨の道に導き返そうと何度もメッセージを送られました(旧約聖書の預言者)が、人は、罪の習性から離れることができません。そこで、神様は、神のみ旨を知るただ一人の息子を、人の形にしてこの世に遣わし、天の父の御許に帰ってゆく新しい道を開かれました。それが、2000年前の御子イエスの御降誕です。クリスマスはそこから端を発しています。
 神は、アダムとエバを陥罪に至らせた蛇に対して、「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえと子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」(創世記3:15)と言われました。神が人をご自分のかたちに似せて造られ、良き交わりをしていたにも関わらず、それを遮断した蛇の仕業を「女の子孫」によって粉砕するという約束です。新約聖書は、まさに、この神の約束の成就の時から始まっています。そこで、マタイの福音書1章は、アダムとエバから、御子を宿すマリアに至る系図からスタートしているのです。
予言が成就したクリスマス
「このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。」(22)まさに、クリスマスの出来事は、旧約聖書の預言が成就された出来事でした。
『見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』」(マタイ1:21)この聖句は、イザヤ書7:14から引用されています。イザヤ書では「それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。」と書き出していますが、この預言における救い主の一つのしるしは「処女降誕」です。更に、イザヤ書9:6では、「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」と記されていますが、ここでのメシアのしるしは、「男の赤ちゃん」です。また、イザヤ11:1は「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ」と記されているところから、メシアはエッサイの子であるダビデの子孫から出現することを示しています。
 神の選びの器であるヨセフ
 マタイ1:16には、「ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。キリストと言われるイエスは、このマリアからお生まれになった。」とヨセフの系図が書かれています。ところが、ルカ1:23の系図では「ヨセフはエリの子で、」と違っています。ルカの記載はマリアの系図であろうとも言われている箇所です。歴史の流れからヨセフの系図だけでは不完全な部分があり、マリアの系図で完成されたものとされています。そのような歴史的背景からしても、ヨセフとマリアは遠大な神の御計画の中で、創世記3:15の「女の子孫」として来られる神の子イエス様をお宿しする夫婦として、神が備えられたカップルであったと言えます。
 とは言え、婚約中に子どもを宿したマリアの払った犠牲と苦悩も大変なものでしたが、ヨセフの苦悩の大きさもまた、どれほどのものだったでしょう。19節には、「夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。」とその苦悩の様が描かれています。
迷いと苦しみの中にあるヨセフに、主の使いは夢に現れて、「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。」(21)と、主のみ旨をはっきりと示します。主を宿すマリアにヨセフの存在は欠かせない存在だからです。私たちもまた、犠牲の伴う主への従順が必要とされる時があります。その時、きっぱりと主に従う輩を神は、責任をもって導かれ、守られることをここで確信することができます。ヨセフの様に犠牲を払って主に従う器を通して、主の救いと栄光は現実に現わされてゆきます。

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