メッセージ 『一粒の麦』
聖書 ヨハネによる福音書12章20-26節(新p208)
メッセンジャー 高江洲伸子牧師
事務所の窓の下側に今水仙が沢山咲いています。赴任して数年後の冬、外階段下にも水仙の一塊を発見しましたがなぜか葉っぱだけでした。翌年、そこに一輪のつぼみが付きました。そのまた翌年は数輪増えて、今年は、沢山花をつけています。増えていくのを見るのは嬉しいものです。
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」(24)とイエス様は言われました。このみ言葉は大変有名ですが、本当の意味を知っている人は多くはないかもしれません。この言葉は、エルサレムに巡礼に来た人の中に異邦人(ギリシャ人)改宗者がいて、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」とお弟子に願いでて、それをイエス様にお伝えた時に、語られた主のお言葉でした。それまでのイエス様の宣教はユダヤ人に対してのものでしたが、この時の異邦人の来訪は、福音がユダヤ人という枠を超えて世界に広がってゆくという意味の含まれる大切なできごとだったのでした。そして、その為にイエス様ご自身が「一粒の麦」となり栄光を現されるという大切なメッセージだったのです。
ここに麦ならぬジャガイモがあります。このジャガイモは、サラダにしても、カレーにいれても美味しく食することができます。けれどこの一個を土に植えるとどうなるでしょうか。「美味しい」と言う人々からの賞賛の声を聞くことはできなくなります。けれど暫くして、土の中から小さな芽が顔をのぞけ、葉がでて花を咲かせ、時を経て、土の中を掘ってみると、小さな一個はいつの間にか、いくつものベビーポテトを生み出していることでしょう。その小さな赤ちゃんジャガイモは、お母さんジャガイモのふっくらとした養分をグイグイを吸い取って大きく育ち、逆にマザーポテトは段々とやせ細って、そして、遂に中身は空っぽになるでしょう。こうして、一個のジャガイモは死んでいくつものポテトを生み出してゆきます。
イエス様もまた、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」(24)と言われました。イエス様が語られたここでの「一粒の麦の死」は、ご自分がこれから受けようとしている十字架の死を指していました。それは、表面的には敗北であり悲惨なものにしか見えませんが、一個のジャガイモの死によって、多くのベビーポテトを生み出したように、一粒の麦もまた、死ななければ一粒のままですが、死ねば、多くの実が結ばれてゆきます。弟子たちから異邦人巡礼者がイエス様にお会いしたいと訪ねてきたとの知らせを聞いたイエス様は、ご自分が一粒の麦として死に、御国の福音がユダヤ人の枠を超えて、全世界に伝えられてゆくその時が来たことを察知して、「人の子が栄光を受ける時がきました」(23)と言われたのでした。この時イエス様は、「自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠の命に至ります」(25)とも言われています。イエス様の十字架の死が敗北でなく栄光の時であるように、私たちも自分の罪のうちにある命(自分の欲望の為に生きること)を愛するのではなく、反対にそれを憎むことにおいて、まことの命に与るというのです。
普通、人ははじめに命の誕生があり、そして命の終わりである死を迎えます。しかしキリストに生かされている者の生涯は、自分の命がイエスの十字架と共に死ぬとき、まさにそこから新しい命が甦ります。
種が発芽する時には殻は破れてゆくように、新しい命が生まれる時には、誰にでもある自己愛、執着、こだわり、習慣、と言った殻が破れてゆきます。そこには痛みが伴うことでしょう。けれど、殻から抜け出た時、新しい命による新たな世界が広がってゆきます。
広島で被爆された漫画家の中沢啓治さんは御自身の経験を「はだしのゲン」という作品にしました。この作品の中にゲンの父親の言葉がでてきます。「ゲンおまえは麦になれ。 厳しい冬に芽をだし、踏まれて踏まれて強く大地に根を張り、真っ直ぐに伸びて実をつける麦になれ」と父親は子どもたちに言うのです。父親の残した言葉通り、ゲンは元気な強い子に育ってゆきます。麦は寒さの中で踏まれてしっかり大地に根づき、良い実を豊かにつけると言われています。「はだしのゲン」は原爆で家族を失った少年が亡くなった両親の言葉を胸に、明るく元気に育ってゆく姿が眩しいほどに生き生きと描かれています。
主イエスもやがて訪れる迫害時代を覚えながら、敢えて「麦」を取り上げたのかもしれません。けれど「一粒の麦」のみ言葉の真意は更に深く、主イエスご自身が「一粒の麦」となり十字架で死んでくださる事にありました。それは丁度、マザーポテトの中味が土の中で空っぽになるように、ご自分の命を惜しみなく私たちの罪の身代わりとして十字架の上に投げ出してくださったことにあったのです。
「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」(Ⅰヨハネ3:16) 一粒の麦について語られ
たその意味はこれ以上でも、これ以下でもありません。
