メッセージ 『私自身が一緒に行く』
聖書 出エジプト記33章12-19節(旧p160)
メッセンジャー 高江洲伸子牧師
滋賀で伝道していた頃、神戸で青年大会の奉仕を終えて、女性二人車で京都に帰ることになった。その帰り道、気が付くと私たちは知らない道を走っていた。前に進べきか引き返すべきか分からないまま、車は山深い里に着いた。そこには小さな温泉があった。折角だからと私たちはお湯につかって、再び車を走らせ朝明けと共に京都に帰り着いた。その間、不思議と不安もなく、会話は尽きず、温泉のお湯で、青年大会の疲れも癒され、朝もやに包まれる中京都に入っていったのは、全くの主の恵みだったとしか思われない。道に迷う中にも、このような伴侶がいる人の人生は幸いだなと思ったのです。
うなじの固い民とモーセの執り成し
さて、奴隷の地を脱出したイスラエルの人たちでしたが、その旅は容易ではありませんでした。指導者モーセがシナイ山で十戒を付与されていた時のことです。なかなか山から降りてこないので彼らは不安になり、金の子牛造り、彼らの新しい神としたことで、民は神様の祝福を失いました。山から下りてきたモーセは、その時必死で神様に彼らの為に執り成しの祈りをささげました。神はモーセのとりなしに答えて、それでは、御使いを遣わそう(33:3,4)と告げましたが、モーセは、御使いでなく、神様ご自身が一緒に行ってください、と真剣に祈っていった時のことが、今日の聖書の内容になります。ベターは決してベストではないことをモーセは知っていたのです。では、なぜ神様ご自身でなく、御使いという代理を備えられたのでしょう。それは3節に「あなたがたうなじを固くする民なので、わたしが途中であなたがたを断ち滅ぼしてしまわないようにするためだ。」(3)と、答えられています。
うなじの固い人たちを導くことは、大変だったのかもしれません。今回の金の子牛騒動のようなことが度々あると、叱咤激励して約束の地へ導き上るまでに、途中で忍耐の緒が切れてしまって滅ぼしてしまうことを警戒したかのようです。
何れにせよ、民は「この悪い知らせを聞いて嘆き悲しみ、一人も飾り物を身に着ける者はいなかった」(4)のです。そこで、モーセが「今、飾り物を身から取り外しなさい。」(5)と民に言うと、民は「自分の飾り物を外した」とあります。この飾り物とは何なのでしょうか。実は彼らは出エジプトした時からエジプトの偶像礼拝に関わる飾り物を身につけていたのでした。ここに、彼らが金の子牛を拝む前に、すでに心の中では偶像と妥協をしていた民の姿が見えてきます。
モーセの祈りに答えられる神
けれども、真実なモーセの祈りを神はきいてくださり、「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる」(14)とモーセに告げられました。神ご自身が彼らと共に行く、これ以上の良き伴侶はありません。ウエスレ―は「臨在は救い」と言いました。臨在があるところに真の平安と安息があります。モーセはここでしっかりと神様を捕らえて離しません。「もしあなたのご臨在がともに行かないのなら、私たちをここから導き上らないでください。」(15)とまで言い放ったのです。それだけでなく、神が共におられるということを「何によって知られるのでしょう」(16)と保証まで取り付けようと神しています。その真実な執り成しを神様はあつかましいとは言われず、喜ばれて、「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。」(17)と、モーセの祈りは全面的に受け入れら、聞き届けられたのです。
私たちへの祈りの効用
真実で真剣な祈りは聞かれます。新約聖書マタイの福音書15章にツロフェニキア地方に住むカナン人の母親がでてきます。彼女は異邦人でしたが、ユダヤ人のキリストを見るなり、「主よ、ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が悪霊につかれて、ひどく苦しんでいます。」(22)と言ってキリストに向かって叫び続けました。その時、キリストは全く答えられず、弟子達は「女を去らせてください」とまで言う。その上キリストは、「わたしはイスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません」と、きっぱりとこの女性の求めを拒否されました。しかしこの母親は怯まず、イエスの前にひれ伏し、「主よ、私をお助けください」と頼んだのです。しかしキリストは、「子どもたちのパンをとり上げて、子犬に投げてやるのは良くないことです。」と言われています。にもかかわらず、彼女は引き下がらず、「主よ、そのとおりです。ただ、子犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」言ったのです。結果、イエスは、「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように。」(29)とこの女性の祈りをきかれ、娘は癒されました。
2000年前、イエス様がそこにおられたので、この女性の祈りはきかれました。モーセの祈りをきき、カナンの母親と共におられたお方は今も私たちと共におられます。「憂えし
めないご聖霊の臨在は、幾万のドルにもまさる」と古の聖徒は言いました。主の2026年、「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。」(33:14)、「安心して行きなさい」(ルカ7:50)と主は私たちに語りかけておられます。
