10月5日 礼拝メッセージ

メッセージ 『闇の中でも』

聖書 詩篇18節25-30節(旧p948)

メッセージ 高江洲伸子牧師

「まことにあなたは 苦しむ民を救い 高ぶる目を低くされます。まことにあなたは わたしのともしびをともされます。私の神 主は 私の闇を照らされます。」(27,28)。
  詩篇18篇の冒頭に、この詩はダビデが苦境の中から救い出された時に書かれた詩であると説明されています。特に28節だけをとり上げれば、「苦しむ民」「高ぶる目」「ともしび」「闇」この4つのことばに目が止まります。ここでの「あなた」は神様。神様が苦しみの中にある人を救われることと、高ぶる目を低くされるすることをダビデは並列に置いています。ダビデは、神様が苦しむ人をその苦しみから救い出される時は、その人の高ぶりを砕き心を低くされると証ししているのです。因みに、「悩む」(アーニー)ということば自体、「低い」とか「謙虚」という意味があります。 
結果ダビデは、自分の闇を照らし勝利に導かれたお方を讃美しています。詩篇18篇は、私たちが苦しみの中に置かれる時に、そこから脱出させる道を示しています。

聖書には「苦しみ」に関するみことばが数多くでてきます。イザヤ書48:10「見よ。わたしはあなたを練ったが、銀のようではない。わたしは苦しみの炉であなたを試した。」、詩篇119:71「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。それにより 私はあなたのおきてを学びました。」等。それだけでなく、苦しみの中から救出された記事で溢れています。

ネブカドネザル王の高ぶりと謙り
ネブカドネザルは、紀元前550年頃生存していたバビロンの王様で、イスラエルの人たちをバビロンに捕囚民として連れていった王でした。イスラエルからすれば、まさに敵国の王でしたが、彼は捕囚民の中から秀でた少年たちを召して、三年間養育し、王に仕えさせることにしました。その筆頭にユダ族出身のダニエルがいました。
ある時、ネブカドネザル王は、ダニエルが自分のみた夢幻の解き明かしを適格にしたことにより、篤い信頼を寄せ、捕囚民であったにも関わらず、バビロン全州を司る長官に任じました。
ネブカドネザル王が続いて見た夢もまた、ダニエルによってその夢の解き明かしがされます。その夢の内容は、やがてネブカドネザルは「追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べて、天の露に濡れるものになります。」(ダニエル書4:25)という厳しい内容が含まれていました。けれどもその時ダニエルは、「天が支配するということをあなたが知るようになれば、あなたの国はあなたのために堅く立つでしょう。」(26)と、ネブカドネザル王の再起も予告しました。
それから一年後のこと、王が宮殿の屋上から街並みを見ながら、「この大バビロンは、・・・私が私の権力によって建てたものではないか。」と言う言葉が口をついて出てくるや否や、「国はあなたから取りリ去られる」(4:31)との声が天から届き、間もなく、ネブカドネザル王は夢で告げられた通りに王座を追われ、宮殿から追放されてしまったのです。けれども、その苦難の時が過ぎ、ネブカドネザル王に理性が戻り、(放蕩息子は本心に立ち返りと記載)、神を褒めたたえると、夢で告げられていた通りに王位は戻され、ネブカドネザルは「天の王を讃美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義であり、また、高ぶって歩む者をへりくだらせることのできる方である」(4:37)と、高ぶりを砕かれた神に栄光を帰すのです。

闇を照らすともしび
「主は 私の闇を照らされます」(詩18:28)。エペソ4:18,19は「彼らは知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、頑なな心のゆえに、神のいのちから遠く離れています。無感覚になった彼らは、好色に身を任せて、あらゆる不潔な行いを貪るようになっています。」と、暗黒の中にいる人の心の闇を明記しています。その暗闇に「私は世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」(ヨハネ8:12)と、主イエスは暗黒を照らす光として来てくださったのでした。

私たちは、主イエスの光を天を仰いで待ち望むかもしれません。けれど、神のともしびは、実に私たちの生活のど真ん中にあり、家庭の中に、学校に、職場にと光と放っておられ、私たちの闇を照らし続けておられます。苦しむ者を救い、高ぶる目を低くされる神のともしびこそ、私たちを神の栄光への導く、真の導き手なのです。

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