メッセージ 『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。』
聖書 テサロニケ人への手紙第一5章16-22節(新p413)
メッセンジャー 高江洲伸子牧師
『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。』
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。」
このみ言葉は、いつ口ずさんでも波長も良く、とてもステキなみことばです。けれど、いつになれば、私たちはこのような信仰生活をおくることができるようになれるのでしょう。そこで、更にみことばの深みに与りたいと思い、詳訳聖書を開いてみました。
キリスト者の目標とされるみ言葉
16.「絶えず<いつでも>〔自分の信仰によって〕幸福でありなさい。<喜んで、楽しい心でいなさい>。17.たゆまず祈り<忍耐づよく祈り>なさい。18.万事について〔神に〕感謝しなさい<環境がどのようであっても、感謝深くあり、感謝をささげなさい>。というのは、それはキリスト・イエスにあるあなたがたに対する神のみこころであり、〔キリストはそのみこころの啓示者または仲介者であられる〕からです。(詳訳聖書)
実は、このみことばの箇所は、キリスト教信仰の最高峰だとも言われています。それだけでなく、「喜び」は神の民のしるしであり、クリスチャンは、神の民としてのこのような特質を豊に持つ者たちであると、新聖書講解シリーズ(NO9)の記者は記しています。
また、18節後半では、「これが、キリスト・イエスに会って神があなたがたに望んでおられることです。」とパウロは言っています。けれど、私たちはどれだけ神の求めに応答できているでしょうか。喜びよりもつぶやき、祈りよりも眠り、感謝をするべきところで怒りが爆発している自分に絶望さえ覚えます。果たして私たちは、本当にこのような信仰生活をおくる者とされるのでしょうか。
御霊と預言
続いて、パウロは「御霊を消してはいけません。」(19)と勧めます。ガラテヤ人への手紙5章22、21節には、「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」とも記されています。ここから「喜び」は御霊の実であることがわかります。ですから、霊の火が消える時「喜び」もまた消えてしまいます。私たちは霊の火である「御霊を消してはいけません」。
20節では、 「預言を軽んじてはいけません。」と続いています。神の霊によって語られる言葉を「預言」と言います。「預言」は、「言葉を預かる」と書きますが、教会が神様からお預かりしているのが「聖書」です。私たちは、日常生活の中で様々な心の軋轢を体験しながら生きていますが、神の霊によって語られる聖書のことばの中に私たちは真の喜びを見出し、不平不満は祈りとなり、祈りの中で働く聖霊によって、神に委ねることを学ぶ中で、感謝の心は生まれてきます。
この御霊と預言の働きは、主の教会を堅く建て上げるためには絶対に不可欠なもので、「御霊を消してはいけません」ということと、「預言を軽んじてはいけません。」ということは同等であると言えます。
識別力の必要性
しかしながら、喜びと感謝にあふれた生活は、何でも許容するということではありません。今日は、花や装飾品に至るまで、模造品が本物以上にすばらしい出来栄えに見えるような、ごまかしのきくイミテーション時代でです。これと符合して、信仰の世界でも模造品が横行し、種々の異端的教えや宣教活動といった語りで注目を集めている宗教活動が氾濫しています。世の終わりが近い今こそ、真に良いものを見分ける識別力と判断力が求められています。パウロはテサロニケ教会の人たちに、喜びと祈祷と感謝の生活を勧めつつも、「ただし、すべてを吟味し、良いものはしっかり保ちなさい。」(21)と、識別力を養う必要を強調しています。
ヨハネもまた、手紙第一で、「霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです」(4:1)と、偽りの霊と偽預言者の存在に対して無防備であることの危険を厳しく警告しています。また主イエスもマタイの福音書24章24節で、選民を惑わそうとする偽キリストの現れを予告し警告を与えています。
当時、キリストの再臨の教えを巡って混乱のあったテサロニケ教会には、神のみことばを健全に受け止めることは大切な課題でもあったのです。それはまた、今の時代を生きる私たちに対しても同様な課題とされています。
主イエスは、弟子たちに、「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるたまです。」(ヨハネ16:24)と約束された。主イエスの御名によってささげる率直な祈りの積み重ねが、周囲の状況に左右されない感謝と喜びへと私たちを導いてゆくことでしょう。