『パウロの弁明』-エルサレムで-
聖書:使徒の働き22章30節-23章11節(新p283)
メッセンジャー:高江洲伸子師
パウロの逮捕と裁判21:17-26:32
1)パウロの逮捕(21:17-40) 2)パウロの民衆への弁明(22:1-29)
3)議会での弁明(22:30-23:11) 4)カイザリヤへの移送(23:12-35)
5)カイザリヤでのパウロ(24:1-26:32)
エルサレム帰還のパウロの様相をジェームス・ストーカーは次のように描いている。
「このころにはもう六十近かったに違いない。したがって、すでに二十年間、超人的活動を続けていたことになる。次から次へと、旅行、伝道が続き、心には、彼を押しつぶさんばかりの心配事がのしかかっていた。肉体も病気に弱り果て、度々の刑罰や暴行に傷だらけであった。髪は白く寄る年波に顔には深いしわが刻まれていたであろう。それにもかかわらず、体力が衰える様子はさらになく、精神は、キリストへの奉仕の熱情に、今までと変わりなく燃えていた。」(J・ストーカー著「パウロ伝」p203)
パウロがエルサレムに着いたのは、ペンテコステの祭りの時で、世界各地から集まった巡礼者でごった返していた。その中で、ユダヤ教の異端児とされるパウロを取り巻く民衆は、異常なまでにパウロへの激高が高まっていた。大勢の民衆が「殺してしまえ」と叫ぶ中で(21:36)、福音を伝えたいパウロは、自ら「少しお話ししてもよいでしょうかと」(21:37)と千人隊長に願いでて、神様がどのように導きを与えてくださったかを証した。
「これからパウロは、四度、裁判官の前に訴えられます。主イエスは十字架の前に五度裁判をお受けになりましたが、パウロは四度裁判を受けました。裁判を受けるごとに、パウロはその裁判を伝道の場としました。自分のためには弁護せずに、いつでも集まって来た人々に福音を宣べ伝えました。神様はそのためにユダヤの権力者、祭司長、そのほか地位のある人々を大勢集めてくださいました。四度そんな集会が開かれました。それは裁判のためというよりも、むしろ伝道のためでした。・・・これは絶好の機会でした。」とは、バックストン師。(バクストン「使徒行伝講義」p259)
四度の裁判
① エルサレムで、議会での弁明、大祭司アナニアを前にして(22:30-23:10)
この議会はサンヘドリンと呼ばれ、ユダヤ民族の内政をつかさどる機関で、紀元前200年頃にできたものである。議長は大祭司で、70人の議員から成り立っており、大祭司につくサドカイ派の多数党と、律法学者たちの大半が所属するパリサイ派の強力な多数党とに勢力は二分されていた。
「エルサレムで最高法院の人々の前に立ったパウロは、『兄弟たち、私は今日まで、あくまでも健全な良心にしたがって、神の前に生きてきました。』(23:1)と語りだした。パウロのこの確信と自信に満ちた発言は、裁判するつもりで来た大祭司アナニアのプライドを傷つけるものであった。まず、ユダヤ人の間での最高権威者たちを自分と同列においた『兄弟たちよ』という呼びかけからして、彼らは気に入らなかったであろう。・・・パウロにとっての良心とは、神から与えられている羅針盤のようなものである。…預言者エレミヤが『人の心は何よりも陰険で、それは直らない。』(エレミヤ記17:9)と言っているくらい、人間の心はゆがんでしまっている。だからキリストによって『心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人』(エペソ4:23,24)にならなければ、古い人のままの良心ではだめなのである。パウロがここで、あえて『きよい良心をもって、神の前に』(使徒23:1)と言っているのは、一般的な良心とは区別された意味においてである。人間のようにうわべを見るのではなく、『心を見る』(Ⅰサムエル16:7)『神の前に』『きよい良心をもって』生活して来たと堂々と宣言できるパウロはすばらしい。」と新聖書注解シリーズで村上宣道師は言っている。
論争がますます激しくなるなかで、千人隊長はパウロが引き裂かれる恐れを覚えて、彼らの中から引っ張り出し兵営に移す。そうした中で神様はパウロに、「しっかりしなさい。あなたはエルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」(23:11)と宣教の使命を確信させ、励まされた。ユダヤ人たちは、「パウロを殺すまでは食べたち飲んだりしない。」と呪いをかけて誓うが、神様はパウロの甥を用いて彼の命を守り、カイザリヤに送られることになる。
② カイザリヤで、総督フェりクスによる裁判(24:1-7)
③ カイザリヤで、新総督フェストゥスによる裁判(25:1-12)
④ カイザリヤで、アグリッパ王による審問(25:13-26:32)
カイザリヤで2年経過後、パウロは囚人として念願のローマへと旅立ったのである。