2月16日礼拝メッセージ

『パウロの伝道旅行』(3)  ー決別説教ー

聖書:使徒の働き20章17-35節(新p277)

メッセンジャー:高江洲伸子師

「この旅行の最初の目的は、すでにクリスチャンとなった者たちの信仰を確立することであった。その点では第2回伝道旅行と同じである。ただ、前回は聖霊による予定変更があり、マケドニア地方、すなわちヨーロッパ伝道が主として行われたが、今回はエペソを中心とするアジアが伝道の中心地となっている。」新聖書講解「使徒の働き」から

<エペソ伝道18:23-19:41>
エペソは、政治的に重要な位置を占め、陸海共に交通と商業の要地として知られていたアジアで最も大きな町であった。歴史が古く宗教の活動も盛んだった。
1 アポロの活動とプリスキラとアクラ 18:23-28
アポロはエジプト北岸の港町アレキサンドリア出身のユダヤ人。彼は、ギリシャのアテネと並ぶ学園都市アレキサンドリアで育った学識のある雄弁家で聖書に通じていた(25)。パウロから訓育を受けていたプリスキラ、アクラ夫妻はアポロは知識は豊富だったが、その知識は、イエスの教えと言動に止まり、主イエスを信じる信仰や聖霊によるバプテスマなどについては語られず、パウロの宣教との微妙な食い違いに気がついた。そこで、夫妻はアポロを家庭に招いて、「神の道をもっと正確に彼に説明した」(26)。その後のアポロは、「聖書によってイエスがキリストであることを証明し、人々の前で力強くユダヤ人たちを論破した・・・」(18:28)のだった。
2 パウロの伝道 19:1-20
18:21で、「みこころなら、またエペソを訪問することができるだろう」と言ったパウロは、再びエペソを訪れることになった。パウロもまた、プリスキラ・アクラ夫妻同様、出会った弟子たちに信じた時に聖霊を受けたかどうかを尋ね(2)、「悔い改めのヨハネのバプテスマ」しかしらない人たちは、パウロから「主イエスの名によるバプテスマ」を受けた。
村上師は新聖書講解で、次のように記している。「罪を赦してもらうために悔い改めることは大切である。しかし悔い改めそれ自体が罪の赦しをもたらすのではない。罪の赦しには代償が支払われなければならない。イエス・キリストの十字架は、そのために払われた代価である。ヨハネが予告した救い主イエスはすでに到来し、十字架と復活において救いを完成された。そして神の右に上げられて聖霊をお遣わしになったのであるから、クリスチャンの受けるバプテスマはこのイエスを主と告白するバプテスマでなければならない」と。
パウロは2年間の長きにわたって、「毎日」(9)ツラノの講堂で語り続けた。おそらく、日中の蒸し暑さを避け、午前は天幕づくりをし、反対や迫害する人たちと戦い続けながら(Ⅰコリント15:31・Ⅱコリント1:8)早朝と午後遅くツラノの講堂で語ったのだろうと言われている。語られたみことばを通して癒しや奇跡がなされ、実質的に力ある宣教であった。(19:13-20) 「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。」(19:20)
パウロはエペソから諸教会へ献金について手紙を送っている(Ⅰコリント16:1-4)。ユダヤ人教会と異邦人教会の間に広がる広がる亀裂が重荷となっていたパウロは、自分も一緒にエルサレム教会に行って、諸教会の代表者たちと共に献金を渡したいと考えていた。そして、その責任を果たした後、ローマへ行けると考えていたと思われる。この計画「御霊の示しにより」なされたものだとルカは記す。(19:21)
3 エペソでの騒動19:21-41
パウロがエペソを出立する前に、銀細工人デメテリオによる激しい非難(19:26.27)によって民衆が暴徒化するという出来事がおこるが、町をあげて騒動がおきるほど、エペソにおけるパウロの伝道は激しく力強いものだったことを証明しているとも言える。
<マケドニア‣アカヤ訪問20:1-12>
三年に渡るエペソでの伝道に一応のピリオドを打ったパウロは、ローマに目標をおきながら、マケドニヤ、アカヤ地方を通って、エルサレムに行く決心をしていた(19:21)。コリント人への手紙によれば、この旅はコリント教会に内在する諸問題を憂えたパウロが、牧会的な解決を念頭においていた事がわかる。(Ⅰコリント16:5-9、Ⅱコリント2:12.13)
<エペソの長老との決別20:13-38>
※ここで、使徒の働きをわかりやすく短くまとめているユーチューブ動画で使徒の働きの全容を振り返る。
伝道旅行終盤、パウロはミレトの港町からエペソに使いを送り、エペソの長老たちを呼び寄せてさいごの別れの時をもつ。彼らはエルサレムでパウロが受ける苦難を予測して、熱心引き留めたが、パウロの気持ちは変わらず、「私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。」(24)と返す。パウロは自分を待ち受けているエルサレムで受けるだろう迫害と捕縛の苦しみ以上に、彼の心配は、自分が去った後に主の血で贖われた教会に忍び込もうとしている「群れを荒らし回る狂暴な狼」の存在だった。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次