2月2日礼拝メッセージ

『パウロの伝道旅行』-1-

聖書:使徒の働き13章1-3節(新p259)

メッセンジャー:高江洲伸子師

パウロの第一回伝道旅行13:1~14:28
使徒の働きは13章から新たな展開に入ります。12章以前と変わってきているのは、1、宣教の中心がエルサレムからアンティオキアに移り、ここから新たな宣教運動が展開されていっていること。2、宣教の中心がペテロからパウロに替わってきていること。3、宣教の対象がユダヤ人から異邦人に移っていっていること。等です。
「このようにして、異邦人に対する神の救いのご計画がしだいに明らかにされ、福音の本質とその普遍的な特質が強調されていく。もともと、キリスト教はただユダヤ人一民族のための宗教ではなく、すべての民族、すべての国民のものであることを明らかにするのが、本書執筆の目的であった。」と、村上宣道師は新聖書講解に記しています。

聖霊による出発(13:1-3)
アンティオキア教会は設立されて日の浅い教会でしたが、バルナバとパウロの指導により急成長していました(11:20-26)。その中で良き主の僕たちが育っていったのです。「ニゲルと呼ばれるシメオン」「ニゲル」はラテン語で「黒」、「クレネ人ルキオ」の「クレネ」はアフリカの北の方にある地です。「マエナン」はヘロデ大王の子ヘロデ‣アンティパスと「乳兄弟」と言われているところから、王子と一緒に宮廷で養育された身分の高い人であったことがわかります。こうしたことからも、アンティオキア教会は、人種や社会的地位を超えて愛と信仰において一つであったことがわかります。主が目的としていた異邦人伝道への備えは、アンティオキア教会の成長と共に備えられていったと言っても過言ではありません。
村上師は記しています。「世界宣教開始のいきさつは、大変興味深い。それは決して人間が発案し、計画したものではない。また教会で討議を重ねた結果決議されたものでもない。その宣教命令は聖霊から発せられた。『彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。』(1)世界宣教命令が、復活の主イエスによって語られた時も、弟子たちは主を礼拝していた(マタイ28:16-20)。世界宣教の任務は、常に主を礼拝する教会にゆだねられる。」と。
働き人が聖霊によって遣わされることがいかに大切かということは、使徒の働きの記事全般に描かれていますが、特に第二伝道旅行での16章6節から8節の記事からは大変教えられます。「彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。それで、ミシアを通って、トロアスに下った」。このように、神の働き人は、聖霊が止めるなら留まり、行けというならば行く、神の御声とみ旨に柔軟に従うことができる人でなければ、神の働きは進まなかったことでしょう。彼らが唯々諾々と聖霊の導きに従った結果、福音は文化の進んでいた欧米を通して、私たちにも伝えられてきているという結果を見出すことができます。

キプロス、小アジアへの宣教(13:4-14:28)
キプロス(13:4-12)から船出して小アジアのガラテヤへ(13:13-14:28) 。ここで、バルナバについて第1回目の伝道旅行に加わっていたヨハネ・マルコは一行から離れてエルサレムに帰ります(13)。13節から「パウロの一行」と、中心がバルナバからパウロに移っています。ガラテヤ州に入ったバルナバとパウロは、ピシデヤのアンティオキア、イコ二オム、ルステラ、デルベへ。ルステラでの伝道は、思いがけないことから突然終わることになりました。それは、アンティオキアとイコ二ウムから来たユダヤ人たちが、アンティオキアから160Km以上も離れているのに、ルステラにいるパウロとバルナバを追ってきたからでした。彼らはこの町の群衆を抱き込んで、パウロを石打ちにし、彼が死んでしまったと思い、町の外に引きずり出したのです(19)。ところがパウロは気絶はしたものの命は取り留めることがでたのでした。この時の伝道の様子をパウロはⅡテモテで次のように述懐しています。「また、アンティオキア、イコ二オン、ルステラで私に降りかかった迫害や苦難に、よくついて来てくれました。私はそのような迫害に耐えました。そして、主はそのすべてから私を救い出してくださいました」(3:11)。さらに、コリント人への手紙第二の「石で打たれたことが一度」(11:25)とは、ルステラでの出来事だろうと言われています。ステパノは石打ちにあって殉教しました。パウロはそこから立ち上がり、さらなる福音宣教へと進みだすのです。後に「私は主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています。」(21:13) とパウロは言っているパウロの真実さに胸が打たれます。

 続いて一行は、デルベから帰途へと向かいますが、14:21、22では引き返して信仰にしっかりとどまるように勧めているところから、発足して間もない教会を後にしてゆくことには後ろ髪をひかれるような思いであったと思われます。けれども、パウロとバルナバはすべてを主におゆだねました(23)。祈って主におゆだねする。これが宣教の基本姿勢です。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次