『羊飼いのクリスマス』
聖書:ルカの福音書2章8-12節(新p110)
メッセンジャー:高江洲伸子師
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました」(11)。
この世界を造られた創造主なる神が被造物の人間になる。これは、歴史上、最大の出来事です。その頃、ユダヤの人たちはローマ帝国の支配に苦しみながら、救い主の到来を待ち続けていましたが、メシアの誕生が最初に知らされたのは、世界の重要人物でも、宗教の指導者でもなく、町の外で羊の番をしていた羊飼いだったのです。
1.御告げを受けた羊飼い
その頃、神殿の礼拝では羊は欠かせない大事な家畜でしたし、人々の生活にも欠かせないものでした。では、羊飼いとはどのような人たちだったでしょう。CS教案誌「成長」12月は次のように書いています。
「羊飼いは当時、社会の最底辺の人々でした。字も読めず、律法を知らない無学な者として蔑まれていました。羊の草を求めて移動するので、安息日に会堂へ行くことも、神殿で礼拝をささげることもできず、彼らは神の祝福から漏れた『地の民』でした。それでも、彼らはアブラハムの子孫であり、祝福の契約を受け継ぐ主の民でした。」(p148)。
その羊飼いたちに、突如「主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らした」(9)のです。輝くばかりの明るさと天使の存在に恐れてしまっている彼らに、御使いは告げます。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです」(10-12)。み告げだけではありません。「すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現われて、神を賛美した」(13)とも記されています。
この時、人々から蔑まれていた羊飼いは、神に忘れられてはいなかっただけでなく、特別な恵みと栄誉を受けたのです。コリント人への手紙第一1章27-27節で使徒パウロは言っています。「しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。有る者を無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。」と言っています。これこそが「福音」の真髄なのです。
2. 恐れが讃美に
「人は闇を恐れますが、その闇を圧倒する大いなる光も恐れるのです。しかし神との出会いは往々にして、そのような恐れから始まります。」(成長p148) み使いの存在に恐れをなした羊飼いでした。けれど、み使いが彼らから離れて天に帰ったとき、「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」(15)と話し合ったのです。社会から一線置かれていた羊飼いが町に出てゆくことには少なからず躊躇する思いがあったことでしょう。しかも、深夜です。もし、もし御告げが「飼葉桶に寝ているみどりご」(12)と言わなければ出かけることはなかったかもしれません。考えてみれば、宿屋が一杯で泊まるところがなく、御子の誕生が馬小屋になってしまったこともまた、羊飼いたちへの深い神様の配慮だったかもしれません。
テサロニケ人への手紙第―5章24節には「あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。」とも記されています(他ローマ8:28)。主の御声を聞いて従おうとするときのちょっとした迷いや戸惑いは誰しも覚えることでしょう。けれど、自らの意思に手をかけてみ言葉に従う気持ちを固めて、一歩足を踏み出す時、背後にあった神様の測り知れない配慮の御手を発見致するに違いありません。
羊飼いは、知らされたことを「見届けて来よう」と言ってベツレヘムへ行き、飼葉桶のみどりごを探し当てました。神の祝福に与る条件をここで知りことができます。
① 彼らは「急いで」(16)行きました。ただちに持ち場を離れ、その夜のうちに救い主
を見つけました。主がお招き下さる時、その日の内に応答することは祝福を逃さない秘訣です。
② 自分たちの貧しい身なり(ありがままで)行きました。着飾って外側をカモフラージ
ュしても、内側を隠すことはできません。人は外の顔形を見るが主は心を見ておられます。
➂ ささげものを持たないで行きました。聖書には「だれも、何も持たずに、わたしの前に出てはならない」(出エジプト34:20)と命じておられます。しかし、貧しい羊飼いたちは、ささげものなしでも神の御子の前に出ることが許されました。主は「持たない者」に近いのです。黄金、乳香、没薬をささげた東方の博士たちとは対照的です。ないならばない、あるならばある物を手に、主のもとに急ぐべきなのです。
救い主に出会った羊飼いはたちは、神を崇め、讃美しながら帰っていきました。彼らのクリスマスは、恐れで始まり、讃美で終わったのでした
参考図書 「成長」12月教案