9月15日礼拝メッセージ

『ペンテコステの祝福』

聖書 :使徒の働き2章1-4節(新p233)

メッセンジャー:高江洲伸子師

弟子たちは主の約束を信じて、「心を一つに祈っていた」(1:14)。その時、聖霊は降りました。過越しの祭りから50日目(ペンテコステ)の出来事です。先週はペンテコステという名前の由来を通して、キリスト教の祝祭はユダヤの祭りと深い関係があることを知りました。今日は聖霊を受けることの祝福について、バークレー・バックストン著「使徒行伝講義」の中から、更に知らせて頂きましょう。
 バックストンは、「すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。また、炎のような舌が分かれて現われ、一人ひとりの上に留まった」(使徒の働き2章4,5) このみ言葉の中から、聖霊の臨在に伴うしるしとして、神の息(風) と音と火をとり上げています。
1, 神の息(風) 
バックストンは、「風」よりも「息」という訳の方を勧めています。その理由として、「創世記1章2節に『神の霊が水の面を動いていた』とあります。その『霊』は、原語では主の『息』です。」p92と記しています。(※原語では風も息も同じ「プニューマ」が使われています。)更に、創世記2章7節「神である主はその大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた」から、「ペンテコステの日に、神様は土のように卑しい人間を取って、息を吹き入れて、ご自分に似た者となさいます。」p92と記述。
エゼキエル書では、1章4節「私が見ていると、見よ、激しい風が北からやって来た」。37章9節「息よ、四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ」から「この風によって、よみがえりの生命とよみがえりの力を得られた」p93と記述。
 更にバックストンは、雅歌4章16節を引用して、「聖霊の風が吹いてくださるならば、私たちの心から香が出ます。そして主イエスがその心に入り、その心の実を喜んでくださいます。」p93とも記されています。
2.音
 聖霊が降った時、人々は「激しい風が吹いてきたような響き」(2)を聞きました。エゼキエル2章1節と4節では神様はエゼキエルに直接語られ、エゼキエルは神が語られた通りに従って出てゆくと、「それから、霊が私を引き上げた。その時私は、うしろの方で『主の栄光が御住まいでほめたたえられますように』という大きなとどろき聞いた。それは、互いに触れ合う生きものたちの翼の音と、そのそばの輪の音で、大きなとどろきになっていた。」(3:12,13)と書かれています。そして、その時、「エゼキエルは、これを聞きました。それによって、自分ひとりが行くのではなく、天使も自分と共に行くことがわかりました。その響きは天使が共に行く音でした。」p94と、使徒行伝講義に記述されています。
続いて、「列王記第一、18章41節で、エリヤが『激しい大雨の音がするから』と言いました。他の人にはこの音が聞こえませんでしたが、エリヤだけがこれを聞きました。これは雨が降る兆しでした。神様と交わり、神様に祈った人が、第一にこの音を聞くことができたのです。」p95と記されています。私たちもペンテコステの音を聞くことができますように。
3.火
ご聖霊の臨在に伴う第三のしるしは「火」でした。「炎のような舌が分かれて現われ、一人ひとりの上にとどまった。」(3)。へブル人への手紙12章29節には「私たちの神は焼き尽くす火なのです。」と書かれています。聖霊はすべての罪、すべての肉に属する考えを焼き尽くす火として臨まれます。「焼き尽くす火」その意味は、妨げることのできないもの、いつでも勝利を得る力をもっているということです。小さな火でも燃やしていけば、大きな火事になります。また、「炎のような舌が分かれて現われ」と書かれていますが、火の舌は勝利のしるしです。明確なしるしとして「一人ひとりの上に留まった」(3)のです。これは、ただ教会に聖霊の力が与えられているというだけでなく、各自に与えられた力でもありました。キリストがヨハネから洗礼を授けられた時、聖霊が鳩のようにとどまったように、今、一人一人のキリストの弟子の上に臨まれるのです。(P92-96の要約)
ある人が「完全に聖霊に満たされる経験とは何ですか」と尋ねると、ジョン・フレッチャーは、「神様の御慈愛に導かれることを経験し、御子の愛に励まされることを経験し、聖霊の豊かな喜びと平安の注ぎを経験することです。」と答えています。更にバックストンは、「オルガンは…足でそのふいごに風を満たせば、オルガンから良い音楽がでます。聖霊に満たされると、この世にいる間にも自分の心の中にも、また他人に聞かせるためにも、天の音楽を奏でます。それによって真に神に感謝しすることができます。このようなオルガンは黙っていることができません。エレミヤ書20章9節に「主のことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて、燃えさかる火のようになり、私は内にしまっておくのに耐えられません」とあります。P99-100 弟子たちも丁度そのように、「聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、…話し始め」、世界宣教は開始されました。

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