7月7日礼拝メッセージ

『使徒行伝は宣教のハンドブック』
-バックストン著「使徒行伝講義」1-

聖書 :使徒の働き1章1-8節(新p232)

メッセンジャー:高江洲伸子師

使徒の働きをこれから学ぼうとしています。バックストン師は “使徒の働き”がどういう書であるかというと、これは伝道のハンドブックです。…私たちが主のために働きたいのなら、ほかの人を救いたいのなら、また神様の国を広めたいのなら、祈りをもってこの書を調べなければなりません。“(著作集9p27)と、言われています。使徒の働きで大切な三つのポイントは、①神の霊。②神の言葉。③神の人。(p24)と言っています。
まず、このことを念頭において、私たちは、今の時代に生かされている者として、使徒の働きを宣教のハンドブックとして、新しく教えられてゆきたいと思います。

1.父の約束を待つ
2節には「聖霊によって命じた」、4節では「こう命じられた」と記されていますが、何を命じられたのでしょうか。4節に、「エルサレムから離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」(参考 ヨハネ14-16章)、5節では、「ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられる。」と書かれています。ヨハネの福音書では、「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。」(ヨハネ3:5)と主イエスは言われていますが、復活の後のここでは、「あなた方は間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられる。」と言われています。「聖霊のバプテスマ」は使徒行伝だけでなく、聖書全巻通しての大切な父の約束です。バックストン師は次のように言っています。
  “バプテスマには深い意味があり、それは死ぬこととよみがえることです。ですから、あなたがたが聖霊を受けるなら、それは死ぬような恵み、またよみがえるような恵みなのです。そのように生涯の大きな変化となるはずのものです。父の約束を得たなら、以前と変わらず同じ人でいるというわけではありません。新しい人となるのです。古い人がなくなり、よみがえりに属する人となります。それによって新しい生涯を始めるのです。”(著作集9p37)
バプテスマのヨハネは、「私はあなたがたに、悔い改めのバプテスマを水で授けていますが、私の後に来られる方は私よりも力のある方です。…その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。」(マタイ3:11)と言っています。
  預言者イザヤは、自己絶望の真っ只中で、「すると、私のもとにセラフィムのひとりが飛んで来た。その手には、祭壇の上から火ばさみで取った、燃えさかる炭があった。」(イザヤ6:6) イザヤはこの時きよめられ、そのとき主の使命に応答することができまし。弟子たちもまた、こうした火のバプテスマを待ち望みました。
聖霊を受ける時について、復活の主は次のように言っています。「いつとか、どんな時とかいうことは。あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。」(1:7,8) 
ここ8節では、「聖霊があなたがたの上に臨むとき」と表現されていますが、「聖霊に満たされ」(2:24)とも書かれています。聖霊のバプテスマは一言葉で説明できない深淵な内容とも言えます。
“バプテスマの意味は真の死です。「臨む」とは上からの武具をいただくことです。満たされるとは、神様の完全円満な溢れるほどの恵みを受けて、少しの不足もないことです。この経験の中に三つの意味(聖霊のバプテスマ、聖霊が臨むとき、聖霊に満たされる)が含まれています。”(著作集9p43) 祈りをもって聖霊を待ち望むこと、聖霊に満たされること、これが復活の主の第一の命令でした。 “ほかの人に安らぎや慰めを与える代わりに、まずあなた自身が恵みを受けなさい。分け与える代わりにまず受けなさい、”(著作集p32-33)とバックストン師は言われています。

2.福音を宣べ伝える。
第二の命令は、福音を宣べ伝えることです。「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。」(マタイ28:19-20)とあります。では、福音とは何でしょうか。3節に「イエスは苦しみを受けた後、…数多くの確かな証拠をもって、ご自身が生きていることを使徒たちに示された」と記されています。よみがえりは福音の最も大切な基礎です。主イエスもまた、数多くの確かな証拠をもって弟子たちにこのことをお示しになりました。「神の国のことを語られた。」(1:3)とあります。ルカの福音書では、「道々お話しくださる間、私たちに聖書を解き明かしてくださる間、私たちの心はうちで燃えていたではないか」(24:32)と記されています。聖書(旧約)の全巻が私たちの受けるべき霊の糧であることを知らされます。さらに、復活の主はご自身のことをお教えになりました。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。」(マタイ28:18)私たちも、霊の眼が開かれて、生きておられる主イエスを見るとき、力ある生涯を送ることができます。
伝道は主イエスの命令です。ただ都合の良いときに、あるいはただ迫害のないときにだけ、それを行うというのならば、それは主の命令に真に従うことではありません。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次