-いかに生きるか-十戒(6)『隣人を生かす』
聖書 :出エジプト記20章13節「殺してはならない。」(旧p135)
メッセンジャー:高江洲伸子師
「殺してはならない」出エジプト20章13節
大変重たく心に響くことばです。ここで使われている「殺す」の言語は「ラーツァハ」は、個人的に人を殺す場合に限られて使われることばであるところから、この6戒が意味しているところは、「故意による殺人」を示していると考えられています。出エジプト記21:12には「必ず殺されなければならない」とも書かれいます。モーセの時代、憎悪と怨念によって殺人を犯した場合は律法によって厳しく裁かれました。当時、イスラエルでは、生命は血に宿るものと考えられていましたから、生命は生命によって、すなわち血によって贖わなければならなかったのです。旧約聖書の動物による贖罪の意味もここにあり、(レビ記17:10-11) 人類を罪から救う為に十字架上で流されたイエス・キリストの血による贖罪の意味もここからきています。
私たちがよく耳にする「目には目を、歯には歯を」(出エジプト記21:22)等のことばも、被害者の立場から復讐を要求する意味ではなく、むしろ、加害者が他人の生命を奪ったことへの償いとして、他人の生命を尊重する意味で言われていることに注目する必要があります。こうしたことからも、第6戒は、「殺さない」と言うこと以上に、命を重んじ、「生かす」ことの方に目を向けるべきで、今を生きる私たちにとってのこの6戒のみ言葉は、「いかに生きるべきか」を考えるみことばとして捉えることができます。
私たちは人と人の間で生きています。それはまた、憎悪と恨みの感情に左右されやすい中で生きいると言うことです。今朝のみ言葉の真意を深く心に留め、人を「殺す」のでなく、「生かす」ことに心を注ぎ、他人の命を尊重してゆく者とされたいものです。
イエス・キリストはマタイ5;21で、「昔の人々に『殺すな…』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う…」(マタイ5:21以下)と言われて、第6戒を人を生かすことにねらいを置き、「怒るな」「和解せよ」と、愛と赦しの勧めをしています。更に、マタイ22:39では、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」と勧められただけでなく、イエス様ご自身が私たちの良きサマリア人となって、罪に傷つき、息絶え絶えな私たちをご自身の命の代価をもって贖い、流された血をもって洗いきよめて下さいました。「あなたも行って、同じようにしなさい」(ルカ10:37)と語られた主の御言葉に、人を生かす者として、どのように向かって生きるかが問われています。
参考図書 関田寛雄著「十戒・主の祈り」