『召しにふさわしく』
聖書:エペソ人への手紙4章1-12節(新p388)
メッセンジャー:高江洲伸子師
2024/2/25 総会礼拝「新たな出発に備えて」エペソ4:1-16 説教要旨から
2024年度教会目標「聖別と奉仕」聖言エペソ人への手紙4:12「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。」(一昨年のエペソ書講解説教から)
▼教会と奉仕の意味について (4/30 1章 「キリストのから
だである教会」から)
教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」(23) 「教会」のギシリャ語語源「エクレシア」は、「ある目的をもって召しだされた呼び)だされた者たち」という意味です。つまり、神によってこの世からある使命をもって召しだされた者たちの集合体を意味しています。その召しだされた者たちによって、「キリストのからだを建て上げること」、これこそが贖われた者たちの使命です。
▼キリスト者の働きについて (5/7 2章「神の作品」から)
それ故、私たちが今見ている教会は、天上の目に見えない世界を世に表している御国の大使館であり、私たち一人一人は御国の大使と言えます。
私たちは神の作品として世の人たちに見られています。また、御国の大使としてこの世に派遣されています。御国の大使は御国の指示である聖書のことばに従います。
▼教会の働きとその使命について (5/14 2章「二つのものを一つに」 -神の家族-から)
教会は、「敵意」が十字架につけられ、心の壁が打ち壊された者たちの集まりです。キリストの教会は、キリストご自身を要の石として「建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。」(21)。それ故、横浜栄光教会に集う一人一人は出身地も、育った環境も皆違っていながら、「聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです」(19)。
神の家族として私たちは、この和解の福音を未だ知らないで、防衛本能から来る敵対意識で雁字搦めになっている人たちに伝えてゆく債務を負っているのです(コリントの手紙第二5:18)。
▼天上から見る地上の教会の姿について (6/4 3章「福音に仕える者」から)
新聖書講解シリーズエペソ書で佐布正義師は次のように記しています。
―キリストにあってさまざまな異邦人が神の家族に加えられるという雄大なドラマは、時間を超越した方のシナリオに基づいて、今、この時間の中で展開されている。このドラマの舞台は地上であるが、空間を超えた所で見守っている者がいる。それは。「天にある支配と権威」(3:10)である。…それぞれの地域の教会の働きはたとえ小さくても、また個々のクリスチャンの担う働きは目立たなくても、はるか天界にこの働きを見守る者がいる。そしてこの計画の完成時には、「天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められる」ことになっている(1:10)。私たちは、こうしたスケールの大きな働きに参与しているという自覚を持って、さらに励みたいものである。―
▼教会の奉仕者について (7/2 4章「教会の奉仕者」から)
牧師、教師の重要な働きは「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げる」(4:12)ことでした。教会はこのようにキリストのからだである教会自体を建て上げることを目的としています。主のからだの建て上げは、一人一人の教会のメンバーによって行われます。パウロはここで「聖徒たち」と表現していますが、教会のメンバーが聖徒らしく主の僕として成長し成熟することによって、教会は「キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。」(4:13)。 工藤弘雄著『高度を上げよ』から
2024/4/7 「召しにふさわしく」エペソ4:1-16
エペソ人への手紙 (1)1-3章 神から受けた恵みのすばらしさ (2)4-6章 神の恵みへの応答として、「召しにふさわしく歩む」ことへの勧めが書かれている。
「召しにふさわしく歩む」という事について、エペソ人への手紙は、一個人として頑張ることでなく、キリストの救いを受けた者が、キリストのからだなる教会という一つの共同体の一員とみなし(3節、4-6節「一つ」7回)、
一人一人が愛において成熟した歩みをしてゆくことをパウロは勧める。
牧師・教師は、「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げる」(12)為に日夜労し、一人一人神様から与えられている賜物は、教会の建て上げの為に用いられるべく訓育していく使命を帯びている。
「➀使徒 主イエスの教えを直接受けて、福音を伝え、教会を指導する者。 ②預言者 神のことばを人々に伝える説教者。 ➂伝道者 主として、教会の外で巡回しながら、未信者に福音を宣べ伝える人々。 ④牧師 形成された神の群れのケアをする。 ⑤教師 教会の働きの一つとして、信徒に聖書を教える人々。
『賜物』『恵み』は、もともとは、『喜ぶ』(カイロ―)のからでてきた派生語であり、カイロ―から『恵み』カリス(喜んで与える態度・恩顧)が生まれた。その恵みから賜物(カリスマ=与えられるもの、与えられた能力)が生まれた。それ故、私たちが持っていると思うものは、皆神の賜物であり、恵みの現われであると言える。Ⅰコリント4:7 」(中目黒インマヌエル教会HP 竿代照夫師記述)