-いかに生きるか-十戒(5) 「親と子」
聖書:出エジプト記20章12-21節(旧p135)
メッセンジャー:高江洲伸子師
「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。」(12)
イスラエルの家族
旧約聖書に描かれているイスラエルの家族制度は、主に父兄家族でしたが、母も重要な位置を占めていて、父と同様に尊敬の対象とされていました。(箴言1・8,20) 両親は子どもに対して神の権威を代表する存在で、家庭における宗教教育は両親の重大な責任でした。(申命記6:7) そのため、子どもが両親のことばに従うことは、神様に従うことと結びついていたのです。
申命記では、「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じたとおりに。それは、あなたの日々が長く続くようにするため、また、あなたの神、主があなたに与えようとしているその土地で幸せになるためである。」(5:16)と書かれています。こうしたみことばを背景に、イスラエルでは、神から立てられた父母として子どもは両親を敬い、神のみ旨を伝達される人として親を尊ぶことを教えられていました。そのような宗教的環境の中にあって、何よりも、子どもたちは、神を尊ぶ親の後姿を見ながら、育っていったのです。
十戒の中の第五戒
「あなたの父と母を敬え」、この戒めは、小さな子どもや青少年を対象としたものと言うよりも、元来は老年に達して、孫たちと共に依存的位置におかれている親たちをもつ成人した子たちに対しての戒めであろうとされています。と言うのは、父と母を敬う理由は、単に両親が神の権威を代表し、子に対する宗教教育の責任を負う者であるからということだけでなく、さらに成人した子たちに対して、年老いた両親への配慮を「主が命じられた」とされています。<箴言23:22> 年老いた両親への尊敬と配慮は、「主が賜る地」で父母から引き継いだ遺産とともに「長く生きる」(祝福される)生活の条件でした。主の戒めは、即、約束と祝福につながってゆきます。
「敬う」という語は、「重い」「重んずる」いう語に由来し、「栄光」「名誉」という語へと派生している語です。また、「敬う」は元来聖書や神に対して用いられる宗教的用語でした。それゆえ、「父母を敬う」ことは、最も神聖な戒めの一つとされています。
けれども、主イエスは、「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。」とマタイの福音書10章37節で言われていることを忘れてはなりません。十戒の第一の戒めは、「あなたは、わたし以外に、ほかの神があってはならない。」(出エジプト20:3)でした。第一のものを第一をすることから外れてゆくことをイエス様もまた各所で警告しておられます。
だからと言って、主イエスは決して、人を軽くあしらうようなことはされていません。どこまでも、人を大切に取り扱っておられ、十字架の上からも、母マリヤをヨハネに委ねるという愛の配慮をされています。(ヨハネ19:25-27) 神を第一におくことも、両親を敬うことも、主に対してなされることは、全て、神の栄光のために用いられてゆきます。それゆえ、「子どもたちよ。主にあって自分の両親に従いなさい。これは正しいことなのです。」(エペソ6:1)と言える親、また、その親のことばを聞くことができる親子とされること以上の幸いはないかもしれません。
現代の親子関係の中での第五戒
新聞を読んでいて気が付くことが沢山ある中で、日々起こってきている様々な事件の多くが、親子や家族に関係しているということです。人間にとって一番慰めと憩いの場である家族のいる家庭の中で、考えられないような事件が起こっているのです。現代はまさに、家庭崩壊期であると言えます。問題を抱えない家庭が果たして存在しているのでしょうか。高齢者の私たちも、これから長く生きていかなければならない子どもたちも、一人一人が、自分たちの生き方に今目覚めなければならない時が来ているように思えます。
さいごに、ウイーンの精神医学者で『夜と霧』というナチの強制収容所の記録でも著名なV・フランクル博士の話を紹介させていただきます。
ナチのユダヤ人狩りが厳しくなった頃、米国留学に行くべきかどうか迷っていた博士は、ある日、父親が黙って机の上に置いていった石片に刻まれた文字が、第五戒の記号であることを知って心が定まり、「たとえ行先が死の収容所であっても、十戒の民であることを恥じることなく、両親と共に生きよう」と決心したそうです。そして博士は、「あなたの父と母を敬え。これはあなたの神、主が賜る地で、あなたが長く生きるためである」(口語訳)という「この第五戒を、この時ほど深い感動をもって吟じたことはなかった」と述懐されたと、関田寛氏は著書「十戒・主の祈り」の中に記されていました。そして、「歴史と人間と家庭を支配される全能の主への賛美のゆえに、父と母を敬いましょう。そして信仰の遺産を伝える父と母とになりましょう。」と関田氏ご自身が著書の中で締め括っておられました