1月28日ウェルカム礼拝メッセージ

「出会いと人生」

聖書:ルカの福音書19章1-10節(新p157)

メッセンジャー:高江洲伸子師

 トルストイ作『靴屋のマルチン』。妻子を無くして失望の日々を送っていた靴屋のマルチンは、ある日傷んだ皮表紙の聖書の修理を頼まれる。それがきっかけで、彼は聖書を読み始める。クリスマスが近づいたある夜、夢の中で「明日、あなたに会いに行くから」とイエス・キリストから告げられる。翌日、マルチンはワクワクしながら、イエス様はいつ来られるのだろうかと、窓の外を見ていると、そこには寒そうに震えながら雪かきをしているおじいさんがいた。彼はその人を暖かくもてなし、続いて貧しい女の人に暖を取らせ、赤ちゃんにはミルクを与え、リンゴを盗んだ少年のかわりにお金を払ってあげたりしている内に、とうとう一日は暮れてしまう。けれど、キリストは一向に現われない。ガッカリしているマルチンの後ろから、「マルチン、今日私があなたのところに行ったのがわかりましたか」と囁く声があった。マルチンが振り返るとそこにイエス・キリストの姿があった。けれどその姿はやがて、寒さの中にあった老人や、赤ちゃんを連れた女の人、リンゴを盗んだ少年へと変わってゆき消える。けれど、マルチンの心は喜びが広がり、ストーリーは終わる。

 まず、この物語は失意の中にあった主人公に、修理を必要としている皮表紙の聖書が届くところから始まる。続いて、「明日、あなたのところに行く」と夢でキリストから声をかけられ、彼はイエス・キリストの訪れを楽しみに待つ。待っている中で出会った人たちの中に実はイエス様はおられたという展開です。この物語はトルストイという人が創作したものですが、私たちの人生の展開もまた、トルストイならぬ生ける神によって、創造されていることをご存じでしょうか。エペソ人への手紙1章4-5節をご覧ください。ここに、「神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、…みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」と、書かれています。私たちが日々遭遇する出来事は、実は、私たちの人生の創造者であられる方によって一切が導かれていると、記されています。

 新約聖書にイエス・キリストに出会ったザアカイという人が出て来ます。2000年前のイスラエルのエリコという町に住んでいて、取税人でした。取税人は当時イエスラエルを支配していたローマの為に税金を取り立てることが仕事でしたから、取税人というだけで、人々から「ローマの犬」とさげすまれ、嫌われていました。ザアカイは「俺は嫌われ者だ」というコンプレックスを被うように、お金持ちが着る紫の衣を着て、お金持ちぶって歩いていました。そのザアカイの住むエリコに、イエス様が来られるというので、説教や奇跡で今話題になっているイエス様を一目見ようと、多くの人々が詰めかけてきました。ところが、ザアカイは背が低かったので、人垣に遮られてイエス様を見ることができません。それでもザアカイはイエス様を一目見たいと思ったのです。そこで、彼はイエス様がお通りになる道沿いにあったいちじく桑の木に登ることを思いつきました。ザアカイが高価な紫の着物を着たまま木に登る姿は人々の笑いを誘ったでしょう。ザアカイはそれでも、イエス様にお会いしたいと思ったのでした。木に登ったザアカイは、今か今かと葉の茂みからイエス様が通られるのをじっと待っていた時です。人々の真ん中にいたイエス様は、ザアカイのいる木の下に来るとピタリと足を止め、葉に隠れるようにしていたザアカイを見上げて、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから」(同5節)と、言われたのです。ザアカイはもうビックリしました。初めて会うのに、自分の名を呼んで「あなたの家に泊まる」とまで言われたのです。ザアカイは急いで降りてゆき、喜んでイエス様をお迎えしました。人々はそんなイエス様に「あの人は罪人のところに行って客となった」と悪口を言いましたが、ザアカイは、人々に言われるまま、今まで取税人の立場を利用して行った悪しき事柄を全て認めて「脅し取った物があれば、四倍にして返します。」(8)「私は財産の半分を貧しい人たちに施します。」(8)と、心からお詫びしたのです。イエス様は、真実に悔い改めたザアカイを人々の前でハッキリと、「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」(9,10)とザアカイに救いの宣言をしたのでした。聖書には、「あなたがたが私を選んだのではなく、私があなたがたを選んだ」と書かれています。実は、ザアカイがイエス様を見たいと思うより早く、イエス様の方がザアカイに会おうとしてエリコに来られイチジクぐわの木の下をお通りになられたのでした。ですから、名前も知っておられたのですね。そして、一心に神様に会いたいと願う願いに神様は応えてくださるのですね。

 ある人は、子どもの頃から宇宙旅行をするのが夢で小さな貯金をしてきていたそうです。ある日、その方は、「その貯金はもう必要でなくなった」と奥さんに言われたそうです。「宇宙旅行の夢は、そこに行けば神様にお会いできると考えたからで、すでに神様に出会ったので必要がなくなった」と言うことです。神様に会いたいという願いは、やがて、神様を知っている一人の女性とお出会されることによって、その一途な願いを神様は叶えられたのでした。このように、人生は出会いによって導かれてゆきます。私たちの日常の小さな一コマもまた神に覚えられている神の物語りの一部なのです。

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