「賢い者のように歩きなさい」
ーエペソ人への手紙(13)ー
聖書:エペソ人への手紙5章15-20節(新p390)
メッセンジャー:高江洲伸子師
クリスチャンは神に愛されている子ども、光の子であるばかりか、賢い者と言われています。賢い者とは知恵ある人のことです。知恵(ソフィア)とは、この世の知識ではなく、永遠の救いにかかわる知恵です。
真の神、人間の罪と救い、キリストへの信仰と永遠の命についてなど、クリスチャンとは救い主とその救いという大変な知恵を神からいただいている者なのです。世の人はどんなに教育やお金や地位があっても、愚かな者であるとパウロは言います。では、永遠の知恵による歩みとはどのような歩みなのでしょうか。
時を生かした歩み
それは、「時を生かした歩み」です。賢い者として徹底して正確に気を配って歩くその歩き方の第一として、パウロは「機会を十分に活かしなさい」(16)「今の時を生かして用いなさい」(口語)と勧めます。詳約聖書では「今の時を最大限に活用しなさい」と訳しています。「あらゆる機会を逃さず買い占めなさい」とも訳されています。
時を「買い占める」「贖う」には代価が必要です。聖歌553「聖なる者となさんとて」は英文では「Take time to be holy」(きよきのために時をとれ)となっています。聖なる者とされるために、時間をかけることです。
時を生かす、活用する、買い占めるとは、祈りに、礼拝に、伝道に、愛のわざに励むことです。個人的な時間が、世事に勤しむ中にも、きよきの為に活用されるように励みましょう。さらに、この悪しき時代を光の時代に転覆させるため、祈りに時間をかける必要があります。(古骨の谷 エゼキエル書37:1-10)今の時を生かして用いましょう。
み旨を悟る歩み
それは、「み旨を悟る歩み」です。10節で、「何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい」と語ったパウロは、17節でも重ねて、「ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい」(17)と勧めています。主のみこころを悟り、主のみこころの内を歩む者こそ、賢い者であることが分かります。私たちが主のみこころに生きてこそ、今の時が真の意味で活用されてゆくことに繋がっていきます。
では、どうすれば、「主のみこころを知り、みこころに従う」ことができるのでしょうか。それは、まず主のみこころに生きたいと願うところから始まり、主のみ言葉に親しみ、祈りに時を費やす。そのような中で、主のみこころを悟ることができるようになります。さらに、礼拝、祈祷会など、教会での恵みの手段を最大限に活用することです。主の霊の働かれるところで、主はご自身のみ旨を示してくださいます。
御霊に満たされた歩み
それは「御霊に満たされた歩み」です。パウロは続いて、「また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。」(18)と勧めています。「ぶどう酒に酔ってはいけません」は、お酒類だけのことではなく、仕事でも、学びでも、遊びでも、それに酔わされて自分を見失うことの危険性です。「むしろ、御霊に満たされなさい。」これこそが賢い者の命です。
また、「御霊に満たされなさい」ですから「命令形」であり、現在形です。過去の経験で終わるものでもなく、常に満たされ続けます。これはまた受身で、主導権はご聖霊様にあり、私たちは常に受身で御霊に導かれつつ御霊によって生きる者とされるということです。
満たされる秘訣は空っぽになることです。全てを主に明け渡し、ささげきって空っぽになる時、御霊は私たちのうちに満ち満ちて下さいます。私たちは御霊に満たされる時、ご聖霊の導きの中で感謝をもってみ旨のうちを歩み、みこころを喜び、今の時を最大限に活用した歩みができるようになるでしょう。
ダビデは苦境の中で、「わが神よ 私は あなたのみこころを行うことを喜びとします。あなたのみおしえは、私の心のうちにあります。」(詩篇41:8)と賛美し、主のみ旨を高らかに褒めたたえました。
絶えず御霊に満たされて、「詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、…いつでも、すべてのことについて…神に感謝」(19.20)しつつ、主の教会で聖徒の交わりの極意を深めさせて頂きましょう。
参考図書 工藤弘雄著「高度を上げよ」