「宣教者パウロのスピリット」
聖書:使徒の働き20章17-24節(新p277)
メッセンジャー:高江洲伸子師
2023年秋の特別集会の講師は横田法路先生です。多くの人から「ポーロ先生」と呼ばれ親しまれている神の器。「ぽうろ」この名前は、使徒パウロからご両親が祈りの中で命名されている。今朝は聖書から元素パウロについて知りましょう。
生誕地は、小アジアのキリキア州の首都タルソ。ユダヤを離れ、外地に居住するユダヤ人(デアスポラ)の裕福な家庭に生まれ育つ。へブル語ではサウロ(使徒21:39,7:58,8:1)。べニアミン族に属し、生まれて8日目に割礼を受け、ユダヤ教信仰の訓練を受けて育った。(ピりピ3:5)
青年時代エルサレムで厳格なガマリエルのもとで律法について学ぶ(ピりピ3:5,6 ,ガラテヤ1:14)。パウロはキリスト教徒が律法を軽んじ神殿を無視する(6:13)ことに憤りを感じ、キリスト教徒迫害に参加。ステパノの処刑にも立ち会った(使徒7:54-8:3)。更には、迫害の為にダマスコに赴く。ところがこのダマスコ途上において復活のキリストの声を聞き回心。迫害者サウロは宣教者パウロへと一大方向転向をしたのである(使徒9:1- , 22:4- ,26:9- )。
ギリシャ文化の教育を受け、ローマの市民権を持つ者としてパウロは異邦人伝道に選ばれた器であった。地中海沿岸の各地で伝道に励み、幾多の迫害に会いつつも(Ⅱコリ11:23-28)、しっかりと福音の確信に立ち30余年の伝道の生涯を送った。人間的には健康に恵まれず(Ⅱコリ12:7)、またその容貌もみすぼらしかった(Ⅱコリ10:10)。生計は天幕づくりで支えられた(使徒18:3)が、信仰の豊かさにより人間的欠乏は解決され、多忙にして困難な伝道生涯の中にも主の恵みが宣べ伝えられ(ピりピ4:11-13,Ⅱコリ6:4-10)、多くの教会を生み出した。
パウロの宣教の中心は十字架のキリスト(Ⅰコリ2:2)。すなわち十字にかかり、贖罪のわざをなしとげ、復活によって神の子としてあらわにされたキリストの福音であった。このことは律法主義者との対決で、人の救いが人間の行為に左右されるものでなく、信仰によってのみ義とされ救いに導かれると言う信仰義認を強調するに至った(ロマ1:17,3;21-28,ガラ2:16)。キリストと共に死に、またともに生きる恵みを伝えている。これを理解させるものは聖霊の働きであり、この聖霊が、人々を愛の業へと導き出すと説いている(ガラ5:22)。
<新教出版社篇「聖書辞典」からまとめさせていただきました。>
更に、ジェームス・ストーカーは著名な「パウロ伝」の中で次のように書いている。「キリスト来臨の主要な目的の一つは、ユダヤ人と異邦人の隔ての壁を打ち破って、人種や言語の別なく、救いの祝福を万人のものとすることであった。しかし、キリストご自身は、この変革を自ら実現することを許されていなかった。彼がイスラエルの家の失われた羊にだけつかわされていたということは、彼の地上生活の不思議な制約の一つであった。…福音をパレスチナの国境のかなたにまでもたらし、それを次から次へと新しい国民に紹介してゆくというようなことが…しかし、その命は人生半ばにして断たれ、この仕事を、あとに続く者たちの手にゆだねられるほかはなかった。」(p19)
「ユダヤ人に対してユダヤ人のようになれるばかりでなく、ギリシャ人に対してはギリシャ人のように、ローマ人に対してはローマ人のように、未開の人に対しては未開の人のようになれる人、会堂でラビを相手にすることができるばかりか、法廷では…役人に向かい、また、学舎にたむろする哲学者を向こうに回せるような人、…そのような人を必要としていた。そして、その人はパウロにおいて見出されたのである。」(p21) パウロが書き送った13通の書簡は、2000年たった今も、適格な私たちの信仰生活のバイブルとされています。
使徒の働き20章、ここは、3回目の伝道旅行での出来事。ミレトスでパウロはエペソ教会の長老たちにお別れの挨拶をする際、聖霊はすでにパウロにエルサレムでの捕縛、投獄と患難が待ち受けていることを示していた。21章では、カイザリアでピリポに会った時も、聖霊はピリポにもその事を示していた。パウロのローマ行きを引きとめた多くの人たちが居た。けれど、パウロの決意は変わらない。「私は主イエスの名の為なら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています。」(21:13)。「福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。」(Ⅰコリ9:23口語)このパウロのスピリットに、私たちは倣えないものだろうか。