1月16日 礼拝メッセージ

「苦難が希望に変わる時」

聖書:ローマ人への手紙5章1-5節

メッセンジャー:高江洲伸子牧師

新型コロナ感染拡大が少し落ち着き、教会も平常さを取り戻し始め、喜びと感謝の中で新年を迎えましたが、オミクロン株による急激な感染拡大は、新年への期待を打ち砕かれる思いです。こうした中で、「希望は失望に終わることがありません」(5)と言った使徒パウロの言葉が、沈みがちな心に響きます。 
人は誰でも「苦難」を経験しますが、パウロほど艱難辛苦に耐えた人はいないかもしれません。Ⅱコリント11:23-28は、「牢に入れられたこともずっと多く、むち打たれたことははるかに多く、死に直面したこともたびたびありました。…」と続いています。そのような中で、「苦難さえも喜んでいます。」(3)とまで言うパウロの中にあったものは、いったいどのようなものだったのでしょうか。
  
1.「神との平和」(1)の中にある希望がありました。
「こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(1) 「こうして」はロ-マ人への手紙1-4章全体を表していますが、前節の「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。」(4:25)この一句に集約されています。パウロをして、苦難のどん底で希望が失われず、喜びを抱かせたのものは、イエス・キリストの十字架による罪の赦しからくる「神との平和」だったのです。

2.「神の栄光にあずかる」(2)希望がありました。
 「苦難は忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。」(3,4)  醤油をつくるには、蒸した大豆と煎った小麦を用意し、それを攪拌機で混ぜ、そこに酵母を入れて醤油麹を作ります。その麹の醸造タンクに蒸した大豆と煎った小麦を入れ長い時間をかけて発酵させます。醸造タンクで発酵したものが熟成したら、それを圧搾機にかけて絞り生醤油を取り出します。その生醤油をさらに過熱して、醤油が出来上がります。これと同じように、パウロは、希望が生み出される「行程」を、「苦難⇒忍耐⇒練られた品性⇒希望」の順で示しました。この工程のどれを省いても、真の「希望」という結実は私たちのものとされません。Ⅱコリント人3:18には「栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます」と書かれていますが、試練を通して試され、忍耐によって本物だと認められた練られた品性の中から醸し出される様に、苦難でさえも喜ぶ思いが出てきます。それはまさに、神からくる勝利の栄冠とも言えます。
 「希望」のヘブル語の語源は「待つ」で、動詞にすると「期待する」という意味の言葉だそうです。それゆえ、聖書の語る希望とは、「神様からの約束の成就を期待して待つ」という意味が含まれます。ローマ4:18で使徒パウロは、「彼(アブラハム)は望み得ない時に望みを抱いて信じ、『あなたの子孫は、このようになる』と言われていたとおり、多くの国民の父となりました。」と言っています。

3.「神の愛」(5)から来る希望がありました。
「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(5) 使徒パウロは、様々な迫害を受けている中で、自分を導かれている神様の愛を疑うことがありませんでした。神に愛された王ダビデもまた、「主は私の羊飼い」(詩12:1)と主を賛美し、主イエスご自身、「私は良い羊飼い」(ヨハネ10:11)と言っています。
羊は転ぶと自分で起き上がることができないので、必ず誰かに起き上がらせてもらわなければなりません。一人で生きることができない羊の幸せは、世話をしてくれる羊飼いによって決まってきます。私たちクリスチャンは天の羊飼いによって日々養われている神の羊です。私たちの牧者は、「まどろむこともなく、眠ることもなく」(詩121:4)大切に一人一人の必要の為に働いて下さっているのです。しかも、命まで捨てて、守ってくださるお方なのです。(ヨハネ10:11) 羊飼いが鞭によって猛獣を追い払い、杖によって、迷い出る羊を引き返し、毛につく悪い虫も探し出して羊の健康と成長を絶えず見守られる様に、私たちの牧者は、私たちを守り、養い、憩いの汀に伴われるお方です。私たち神の羊は、日々真の羊飼いであるみ父から注がれてくる聖霊によって神の愛の励ましを受けるので、苦難の中にあっても、希望は決して失望に終わることがないのです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次