「喜び歌いつつ御前に集う」
聖書:詩篇100篇1-5節
メッセンジャー:高江洲伸子牧師
-感謝の賛歌-
1.全地よ 主に向かって喜びの声をあげよ。
2.喜びをもって主に仕えよ。喜びつつ御前に来たれ。
3. 知れ。主こそ神。主が 私たちを造られた。私たちは主のもの 主の民 その牧場の羊。
4. 賛美しつつ 主の門に 感謝しつつ その大庭に入れ。主に感謝し 御名をほめたたえよ。
5.主はいつくしみ深く その恵みはとこしえまで その真実は代々に至る。
横浜栄光教会の方針は、「礼拝を中心としたクリスチャン生活の確立」です。
年頭にあたって、私たちはまず、「礼拝を喜ぶ」者たちとされましょう。
詩篇100篇は1節から「全地よ、主に向かって喜びの声をあげよ。」と呼びかけています。原文では、「喜ばしき声をあげよ」から始まっています。対象は、「全地に」。イスラエルの枠を超えての呼びかけです。この世界の全ての被造物が、主なる神を賛美するべく造られているからです。私たちの礼拝は、「喜ばしき声をあげよ」という主の呼びかけに対する具体的な応答です。
2節の「主に仕えよ」「御前に来たれ」は、礼拝の行為そのものです。
ですから、礼拝とは、賛美をもって主の御前に行き、お仕えするという喜びの行為に他なりません。
私たち礼拝者は、主を深く知りたいと思いますが、3節で主について2つの大切な事柄を知ることができます。
➀「主が私たちを造られた。」
イザヤ書43章1節には「ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよ、あなたを形造った方が。・・・あなたは、わたしのもの。」と記されています。また、エペソ人への手紙1章4節では、「すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。」とも記されています。主は私たちの創造者であり、私たちは被造物である(詩95:5)ので、主は私たちの統治者であるだけでなく、最善をもって取り扱い導かれるのです。それ故に、私たちは心からの畏れと謙遜をもって主を拝するのです。(95:6)
②「私たちは主のもの 主の民 その牧場の羊。」
キリスト者は、「主の民」即ち「神の民」であり、真の羊飼いである主によって養われている「神の羊」です。(詩篇23:1) 真の羊飼いはご自分の羊を良く知っていて養い育て、迷い出たなら谷底までも下って探しだし、その腕に抱いて牧場に連れかえり、悪しきものから羊を守るために、羊の番をして下さり、良き牧草地へと導きゆきます。羊は倒れた時には、自分で起き上がることができず、誰かによって起こしてもらわないと起きれない動物ですが、羊飼いは、そうした羊の特性を良く知っていて、羊を養い育てるように、私たちの魂の牧者は、本当に一人一人、ご自分の羊を良く知っていて、忍耐強く、最適な訓育をして下さるお方で、「私たちは主のもの 主の民 その牧場の羊。」です。
日々、真の羊飼いの愛に守られている事を知る神の羊、神の民は、「賛美しつつ 主の門に 感謝しつつ その大庭に」と、実際に賛美を口ずさみ、御名をほめたたえながら、神殿に入って行きました。
それだけでなく、詩篇100篇の表題は、「感謝の賛歌」とあります。口語訳では「感謝の供え物のための歌」とも訳されていて、喜びの声をあげつつ神殿の門に入るイスラエルの民の手には、感謝の供え物が携えられていたと思われています。
私たちの主の御性質は「へセド」「いつくしみ」です。そして、「めぐみ」は「好ましい」「心地良い」。「真実」は「堅固」「忠実」。主は私たちがどのように愚かでも、変わらず確実に良きもので満たそうと働きかけて下さるお方なのです。