12月19日 礼拝メッセージ(降誕祭礼拝)

「羊飼いたちのクリスマス」

聖書:ルカの福音書8-12節

メッセンジャー:高江洲伸子牧師

クリスマスおめでとうございます。待降節第一アドベントは母マリアの受胎告知。第二アドベントは夫ヨセフへの天使の御告げ。先週第三アドベントは、外国からキリストを訪ねてユダヤまで旅をして来た博士たち。そして、今日の降誕祭主日礼拝は、羊飼いたちのクリスマスについてです。
さて、博士たちは高価なクリスマスプレゼントを携えて来て、キリストに世界で最初におささげ物をした人たちとされました。けれど、世界で最初に御子を礼拝したのは、野原で羊を飼っていた羊飼いたちだったのです。
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶に寝ているみどりごを見つけます;それが、あなたがたのしるしです。」(ルカ22:11) と、天使のみ告げを聞いた羊飼いたちは、「そして急いで行って、マりアとヨセフと、飼い葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。」(16)と書かれていますから、彼らは、御告げを聞いてすぐに、イエス様のお誕生をお祝いに駆けつけているのです。けれどなぜ、最初の礼拝者が祭司や王でなく、羊飼いたちだったのしょうか、キリスト誕生にまつわる不思議を辿ってみましょう。

1. 赤ちゃんとして生まれたイエス様。
救い主が赤ちゃんとして誕生する、というのも、不可思議な話です。天から下ってくるところを大々的に人々に見せることもできたでしょうし、立派な大人の姿で出現されることもできたでしょう。にもかかわらず、なぜ、赤ちゃんの姿だったのでしょうか。それについて、赤ちゃんは、誰かに受け入れられなければ、生きることができない存在ですから、全世界の王であるお方であっても、一人一人個人的にイエス様を受け入れることなしに、私たちの内に神の栄光が現わされることもまた無いということです。「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えなった。」(ヨハネ1:12)この方を受け入れた神の子らを通して、神の御業は現実になり、栄光が現わされてゆくべく、神様は取り計られました。
2. 家畜小屋で生まれられたイエス様。
全世界の王なのですから、豪華な王宮で、貴族たちに見守られて誕生してもおかしくなかったはずです。なのに、なぜ、馬小屋というむさ苦しい、貧しさのどん底状態を現わす場所での御降誕とされたのでしょうか。それは、どんな貧しい人のところにでも来てくださり、馬小屋のような暗く汚れたところに光を照らし、汚れを取り除き、聖くしてくださるお方であることを現わされたとされています。
また、ルカ2:7には、「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」と記されています。
3. 世界で最初に御子の御降誕が告げられた羊飼いたち。
 劇「天国の門」には、様々な個性を持つ方々が登場致しました。「ごうじょうきかんえもん」さん、「よくのはりこ」さん、「つみの、ますぞう」さんに「このよすきよ」さん等々、私たちは多かれ少なかれ、今日の登場人物のだれかに、どこか似ている部分を持っています。残念なことには、劇では、天国に入れない人たちが沢山いました。イエス様は、「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行くものが多いのです。」(マタイ7:13) 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」(マタイ5:3)と言われました。神様は、貧しく、小さな者を慈しんでおられることがわかります。コリント人への手紙第二8:9で、使徒パウロは、「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが彼の貧しさによって富む者となるためです。」と言っています。私たちは今、貧しさの中にあっても、キリストの内にある無尽蔵の富を受けることが出来る者とされています。
当時「羊飼い」は、社会的に最も貧しい人たちの仕事と思われていました。そ
の上、不誠実で汚れているというレッテルが貼られていて、彼らは、一般社会から部外者のように扱われていたのです。その最も小さな貧しい者たちに、キリスト誕生の大いなる喜びの訪れは知らされ、馬小屋だったので、彼らは礼拝に行くことができました。「飼い葉桶に寝ている」キリストは彼らには朗報だったのです。そうして、羊飼いたちは世界で最初に救い主イエス・キリストに礼拝をおささげできる特権を得たのでした。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」このグッドニュースは、余程心低く、また心貧しくして聞かないと聴くことができません。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次