「奉仕の原点」
聖書:出エジプト記35章30節-36章2節、39章42節-43節(旧p173)
メッセンジャー:高江洲伸子牧師
一人一人に与えられている奉仕の賜物
使徒パウロはローマ12:6で、「私たちは、与えられた恵みに従って、異なる賜物を持っている」と、
大変興味深い言葉を書いています。そしてペテロもまた、
「それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」(Ⅰペテロ4:10)と、
勧めています。 教会は、このように、一人一人に神から与えられている賜物を持ち寄って形作られています。
ウリの子ベツァルエルとアヒサマクの子オホリアブ
出エジプト記35:30では、出エジプトしたユダヤ人の中から、幕屋建設の為に、
「ユダ部族の、フルの子ウリの子ベツァルエルを名指して召し、彼に、知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たされた。」と書かれています。
彼は、幕屋建設工事のリーダーとして神に召しだされたのです。
「ウリの子ベツァルエル」と書かれていますが、父親の「ウリ」は、原語は「ウーリー」で、「私の光」という意味です。
「ベツァルエル」は「神の陰(保護)に」という意味で、光と陰は切っても切れない間柄で、
彼は本体である光なる神ご自身があっての陰であり、また、神の守りの中にある存在と言えます。
「ダン部族のアヒサマクの子オホリアブ」(34)、父「アヒーサーマーフ」は「兄弟を支える」との意味があり、
「オホリアブ」とは「父の天幕」という意味で、彼は、天幕造りのリーダーとして召されたベツァルエルを助けるように任命されたのです。
幕屋建設の目的は、出エジプト記25:8に書かれています。「彼らにわたしのための聖所を造らせよ。
そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む」。神様の御住い、主がご臨在される場の建設です。
神の聖所である幕屋建築の為に、神様ご自身から直接指名されたベツァルエルとオホリアブ。
彼らには、その働きに必要な知恵と知識、また、神の霊に満たされて、その働きを全うすることができる能力もまた神から与えられたのでした。
教会奉仕の本質
新約の教会もまた、一人一人に神から与えられている賜物が、聖霊によって用いられる時、教会は前進し、
拡大してゆきます。ペテロは、「賜物を用いて、互いに仕え合いなさい」(Ⅰペテロ4:10)と勧めますが、
「それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神が崇められるため」(Ⅰペテロ4:11)であると、
奉仕の本質と目標を明確に示しています。
ペテロは11節で、「語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、
神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。」とも言っていますが、
どの部分の奉仕を担うにしてもそれは、「神が豊かに備えてくださる力」によって奉仕は成されなければなりません。
「主は彼らをすぐれた知恵で満たされた。それは彼らが、あらゆる仕事と巧な設計をなす者として、
…仕事を成し遂げるためである」(出エジプト35:35)と書かれている所からベツァルエル、
オホリアブは有能な設計者であり施工者だったことがわかります。けれども、それだけの力が与えられていても、
「すべて主が命じられたとおりに仕事をしなければならない。」(36:2)のです。奉仕が祝福される原点は、
「すべて主が命じられたとおりに仕事をする」というこの一事であることを厳粛に受け止めなければなりません。
召された彼らもまた、「すべて主がモーセに命じられたとおりに、そのとおりに、すべての奉仕を行った。」(39:42)、
それ故、主は彼らを祝福されたのでした。
加えて、主が私たちに奉仕を命じられる時、神はそれを全うする力をも添えられるだけでなく、
たとえ、その人の力量が不足していたとしても、志を共にしようと「心を動かされた者」(36:2)をも主は備えられることも知りましょう。
私たち一人一人は、神様から自分に与えられた賜物があります。その賜物は、神ご自身が、神の栄光の為に用いようとして、
神が備えられたものです。是非とも「その仕事をするために進み出」(36:2)て、神様がそれを祝福して下さることを体験してください。
その時、奉仕者も教会も「神の栄光に与る」のです。
教会は、「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストの身体を建て上げる」(エペソ4:12)、実に、そのような場所に他なりません。