9月12日 礼拝メッセージ

「人生の総決算」

聖書:詩篇92篇1-15節

メッセンジャー:高江洲伸子牧師

柏木哲夫氏は、「人は生きてきたように、死んでゆく」と言われましたが、全ての人は、今生きている様の総決算の時を迎えます。

詩篇92篇12-14節には、「正しい者は、なつめ椰子の木のように萌え出で レバノンの杉のように育ちます。
彼らは 主の家に植えられ 私たちの神の大庭で花を咲かせます。彼らは年老いてもなお 実を実らせ 青々と生い茂ります。」と書かれていますが、このような人生を送ることが本当にできるのでしょうか。

・・・

「なつめ椰子」は、苗木を植えてから、40年たって実を結びはじめ、150年間ずっと実を結び続けるのだそうです。
私たちも神様と正しい関係を結んでいると、年老いても、なおこのように実を実らせることができると、詩篇の記者は言っています。
「年老いても、なお」ということは、年老いる以前にすでに実を結んでいたということですが、なつめ椰子が実が結ばれるまでの40年の成長の時期があって結実期を迎える様に、キリスト者である私たちもまた、「熟成」されるまでに、神様の御手の中で日々養われ、育てられてゆく必要があります。

詩篇92篇1,2節には、成熟したキリスト者になる為の秘訣が書かれています。
1節では、「主に感謝すること」と「御名をほめ歌うこと」、2節では、「あなたの真実を告げること」が、とり上げられています。
ここから、その秘訣は、日々主を賛美し、主の恵みを伝える事であるとことがわかります。
では、私たちの日常生活は如何でしょう。
賛美に溢れ、心を砕きながら、主の恵みを伝えていたでしょうか。
 
また、92篇には「パーラハ」という原語が3度使われています。
<「花が咲く」(7),「育ちます」(12),「花を咲かせます」(13)> 
この言葉は成長して豊かに栄える様子と繋がっています。
また、民数記17章で、アロンの杖が芽を噴いた時にも同じ「パーラハ」が使われていることから、このことばは、キリストの復活のいのちを表していることばとも言えます。
 更に、これらの木は、「主の家に植えられ」(13),「神の大庭で花を咲かせます。」(13)と書かれているところから、自然にそこで芽を出して育ったということでなく、神によってどこかから移植されて、神の大庭で育てられた木であるということがわかります。
同様に、私たち一人一人もまた神に呼ばれてこの神の大庭に連れられて来た者達であることを再認識し、ここに移植され、この神の大庭で育てられ、老いてもなお実を結び、しかも、豊かに実を結び続けるのです。
そして、その葉もしぼむことなく、日々新鮮に「青々と生い茂り」(14)栄える者たちとされ、今に至っています。

 ここに、クリスチャンの成長と成熟した姿を見ることができます。
「年がいったので、もうすることがない」という思いもまた、人間の肉の判断でしかありません。
霊の成長を肉の采配、肉の意志で摘んでしまってはいけません。
「もうこれでよかろう」と腰を落ち着けた時、未成熟な人生の終結を迎える事になります。
 今日から明日へと天を仰ぎながら、霊の糧を頂き、外なるものは滅びても、内なるものは日ごとに新しくされ、生き生きと天の恵みに輝いている、その姿を見て、人々は、「主は正しい方。わが岩、主には偽りがありません。」と、神が証されることでしょう。

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