2/22 教会総会礼拝メッセージ

メッセージ『私の臨在がともに行く』

聖書 出エジプト記33章12~19節(旧p160)

メッセンジャー 高江洲伸子牧師

2026年度教会目標は「神と共に歩む」。御言葉は、出エジプト33章14節「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる」です。
このみことばは、1951年7月20.21日神戸中央教会で行われた日本イエス・キリスト教団創立の際、初代教団委員長の小島伊助先生が、教団設立のみことばとして語られました。 「我親(われみずから)汝と共にゆくべし我汝をして安泰(やすらか)ならしめん」(文語) 「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」(口語) 爾来、日本イエス・キリスト教団は「臨在信仰」を掲げ継承してまいりました。神の臨在ということについて、みことばを通して知りましょう。

出エジプト後におけるうなじの固い民とモーセの執り成し神が立てられた指導者モーセによって、奴隷の地を脱出したイスラエルの人たちでしたが、その旅は容易ではありませんでした。民は度々「パンがない、水がない」と言っては神への不信頼をあらわにしていました。モーセがシナイ山で神様と語っていた時、山からなかなか降りてこないモーセに不安を覚えたイスラエルの民は、金の子牛を造って新に彼らの神としたのです。このことで、イスラエルの民は神様の祝福を失いました。シナイ山から下りてきたモーセはこれを知って、必死で彼らの為に神様に執り成しの祈りをささげました。そのモーセのとりなしの祈りに答えて、神様は「それでは、御使いを遣わそう」(33:3,4)と告げたのです。けれどモーセは、御使いでなく、神様ご自身が一緒に行ってください、と真剣に祈ったのでした。  ベターはベストではありません。モーセは「神が共におられること」それこそがベストであることを知っていました。では、なぜ神様はご自身でなく、御使いという代理を備えられようとされたのでしょう。それは3節に、「あなたがたはうなじを固くする民なので、わたしが途中であなたがたを断ち滅ぼしてしまわないようにするためだ。」(3)と、答えられています。
「うなじを固くする民」は口語訳では「かたくなな民」と訳されています。かたくなな人たちを説得することは骨が折れます。まして、導くことは、大変なことです。神様にすれば、奴隷の地から導きだされてきたことは良かったとしても、今回の金の子牛騒動のようなことが度々あると、叱咤激励も忍耐の緒が切れて、怒りがさばきとなり、滅びに繋がってしまうことを神様は懸念したのでしょうか。ともあれ、民は「この悪い知らせを聞いて嘆き悲しみ、一人も飾り物を身に着ける者はいなくなりました(4)。それは、モーセが「今、飾り物を身から取り外しなさい。」(5)と民に言ったと書かれているところから、民は「自分の飾り物を外した」(6)様子ですが、実は、この飾り物は、出エジプト時代の偶像礼拝に関わるところの飾り物で、彼らは出エジプトの時から身につけていたのでした。ここに、彼らが金の子牛を拝む前に、すでに心の中で偶像とは全く聖別されていなかった民の姿が見えてきます。
モーセの祈りに答えられる神
 けれども、熱心なモーセの祈りを神はきいてくださり、御使いという代理でなく、「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる」(14)と告げられたのです。神ご自身が彼らと共に行く、これ以上の良き道連れはありません。ウエ
スレ―は「臨在は救い」、「憂えしめない神の臨在は億万のドルに勝る」と言いました。ここでの「休ませる」「安息」は、「心地よい、平安な安心」という意味です。ですから神様はここで「あなたの試みや戦いがどんなものであって
も、あなたは私にあって静かな安息と安心を得ることができる」と言っているのです。真の平安と安息は主の臨在があるところに臨みます。モーセは更に、「もしあなたのご臨在がともに行かないのなら、私たちをここから導き上らないでください。」(15)とまで迫ります。それだけでなく、神が共におられるということを「何によって知られるのでしょう」(16)と裏付けまで得ようとしています。それを神様はあつかましいとか疑い深いとは言われず、喜ばれて、「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。」(17)と、モーセの祈りは全面的に受け入れられ、聞き届けられるのです。
アサ王の祈りに答えられる神
歴代誌14章にアサという王様が登場します。彼は「自分の神、主の目にかなう良いことを行った」(2)王でしたが、クシュ人ゼラフが百万兵と三百台の戦車で攻めてくるという苦境に陥りました。けれどもアサはこの時もブレずに
信仰をもって敵に向かい、主を呼び求めた(11)ので、主がクシュ人を打たれ大勝利を得ます。その時、オデデの子アザルヤに神の霊が臨み、「もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなた方にご自分を示してくださいます。」(2)と告げました。それは「神はその存在を現わし祝福する」という意味です。2026年度、喜びの日も試みの日も主を求め、神がその存在をご臨在をもって現わされ、民に勝利と祝福をもって応えられます様に。日々、神と共に歩む群れとされます様に。

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