メッセージ 『新しい命をうみだす5つのめぐみ』-福音の5原則-
聖書 ヨハネの福音書1章9-13節(新p175)
メッセンジャー 高江洲伸子 牧師
1 すべての人を照らすまことの光
旧約聖書「マラキ書」最終章から、イエス・キリスト誕生までの400年間の空白時代がありました。預言者も現れず、人々は神のことばを待ち望んでいました。そこに、バプテスマのヨハネは登場し、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」(マタイ3:2)と、神の国の宣教が新たに始まり、人々が待ち望んできたメシア(キリスト)が来られました。けれど、イエス・キリストに対する人々の反応は、「・・・世はこの方を知らなかった。この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった」(10,11)のです。人々は、「救い主」をずっと求めていたにも拘らずイエス・キリストを拒み、受け入れませんでした。それだけでなく、十字架につけて殺してしまったのです。キリストを受け入れなかったのは当時のユダヤ人の人だけではありません。聖書は、全ての人がイエス様を受け入れず心の扉を閉ざしている。それが人間の姿だと教えています。「この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった」これが、イエス様に出会う前の私たちの姿なのです。そんな私たちに対してイエス様はどうされたでしょうか。イエス様は、拒絶されても救いの手を差し延べ続けられ、人々の心の戸をたたき続けられました。(黙示録3:20)
2 神の子どもとなるためには
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった」(12)。「イエス様、私の心に入ってください」「あなたを信じます」そう言って心の扉を開き、イエス様を受け入れた人々は神の子どもとされます。神の子とされるというのは、決して、天使のようになるのではありません。聖書が言っている「神の子どもとされる」という意味は、「天の父なる神様との壊れていた関係が回復される」ということです。ルカの福音書15章の「放蕩息子のたとえ」はこのことをよく表しています。「ある人に、二人の息子がいた。下の息子が父親に、「父さん。財産をわけてください」と願い出て、お父さんが生きているのに相続財産を譲り受け、すぐに遠い国に行って放蕩三昧をし、湯水のように財産を使い果たしてしまった。ぼろぼろになって、食べることも、生きることもままならない、惨めな状態に陥り、その時、息子は本心に立ち返って、「そうだ。父さんのところに帰ろう。」「でも、もう息子と呼ばれる資格なんてない。雇い人のひとりにしてもらおう」と考え、勇気をふり絞って父のもとに帰っていった。一方の父親はずっと息子の帰りを待っていた。だから、遠くに息子の姿を見つけると走り寄って抱きしめた。しかも、一番良い着物を着せ、指輪をはめさせ、靴をはかせ、改めて息子として受け入れた。「自分はもう息子ではない」と思っていた彼を父親はそのまま迎え入れた。」これが天の父なる神様の姿であるとイエス様は言われました。天の父なる神様と私たちとの壊れた関係は、このように、父のもとに立ち返って来ることによって回復されます。
3 神の子どもとなる特権
「特権」は「特別な権利」と書きます。それは、「神様に近づき、呼びかけることができる権利」です。どんな偉大な王様でも、一般の人は近づくことが許されなくても、その人の子どもであるなら近づくことができ、遠慮なく話しかけることができます。同様に、「神の子」とされたなら、天の父なる神様に堂々と近づき、いつでも「お父さん」と呼びかけることができます。それが、子とされた者の特権です。使徒パウロはローマ8章15節で、「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊(聖霊なる神)を受けたのです。この御霊によって『アバ、父』と叫びます」と、言っています。
4 神によって生まれた人々
「この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(13) つまり、「神の子となる特権」を得るために、私たちの側に求められるものは何もありません。
もし、この世で「特権」を得ようとするならば、それなりの対価が求められます。「血縁関係」や特権を買い取る為の「資金」、人並み外れた「努力」等。しかし、「神の子どもとされる特権」は、そうではありません。ただ「その名を信じた人々」、イエス様を心に「受け入れた人々」、それだけで与えられるのです。「ただ、神によって」だけなのです。私たちの側がどんなに揺らごうとも、心に疑いがやってくることがあっても、たとえ自分の状態がどうであっても、親である神が子とされた私たちを守り導かれるのです。私たちの側ですることはただ信頼してお任せすることだけです。安心して堂々と「神の子」としての人生を歩むのです。※さる信者と猫信者の比
★神の子とされる「福音の五原則」 ※福音の手
親指(神様は私を愛してくださっている) 人差し指(けれど、私は罪を犯しました)
中指(私は罪を悔い改めます) 薬指(イエス様が私の罪の為に死んで下さったことを信じます) 小指(わたしは神の子とされました)
