1月11日 礼拝メッセージ

メッセージ 『ありとあらゆる境遇に対処する秘訣』

聖書 ピリピ人への手紙4章10-14節(新p399)

メッセンジャー 高江洲伸子牧師

ある人が、世の中には、サーモメータ―(温度計)のような人と、サーモンスタット(温度調節器)のような人がいると言いました。サーモメータ―は、温度が上がれば自然に目盛りが上がり、温度が下がれば目盛りが下がるので環境に左右されているだけですが、サーモンスタットは、温度が下がれば暖房機能が働き、温度が上がれば冷却機能が作動し一定の温度に保とうと働きかけます。私たち人間は、サーモメータ―の様に、嬉しいことがあれば目盛りが上がり、悲しいことがあれば自然と目もりも下がります。これは生まれながらの人間にとってはごく自然なことがらです。けれど、ピりピ教会の人たちへ手紙を書いたパウロは、獄にいたにも関わらず、「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(4)と喜ぶことの大切さを勧め、ピリピ教会の人たちを励まします。これは普通のことではありません。何がパウロという人をそのように動かしていたのでしょう。

7節で、「すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」と言っていますが、パウロの内側にはまるで、人間の理解を超えるサーモンスタットのような感情調節器があったかのようです。

どんな境遇にあっても満足することを

パウロは、10節で素直に贈り物への感謝を表しながら、「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。」(11)と、どのような環境にあっても満ち足りたキリスト者生活をおくることができることを証ししています。

まず、「どんな境遇にあっても」について、12節で「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、」(新改訳第8版)と、貧にも富にも、飽きたりるほどの豊かさにおいても、あらゆる境遇の中にあって、「対処する秘訣を心得ています。」と言うのです。新共同訳では「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。」(新共)と訳されていて、信仰は日常生活の中でこそその力が発揮されるものであることを知らされます。私たちの日常生活は如何でしょうか。

更に、ここで注目すべきことは、「富むことにも乏しいことにも」(12)と、貧しさの中にいるときだけではなく、富んでいるときにも対処する秘訣についてパウロが言っていることです。貧しければ、貧しいところにある喜びを知り、富んでいれば、その富を管理するところにある喜びを知っている、環境や条件によって喜び度合いが左右されるのでなく、どのような環境に置かれても、置かれたところで喜びを体験しながら生きる、そのような存在。

このような記事を読んだことがあります。「1920年代のことです。米国の著名な政、財界の大物5人がシカゴのとある高級ホテルで会を合したそうです。彼らの財産を総合すると(当時の)米国の国家財産をしのぐほどだったそうです。それから25年経て、とある消息筋の追跡調査によれば、5人はその後、破産、海外逃亡、刑務所出所後死亡、自殺などと報じ、彼らは「大儲けの道を知っていても、いかに生きるかのすべてをしらなかった」と結ばれていたそうです。」(工藤弘雄著「高度を上げよ」に記載)

主イエスは「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」(マタイ4:3)と言っていますが、わずかなもので喜びを見出す人もいれば、前述の5人の人達のように、巨万の富の中で滅びに行く人たちもいることを心に留めたいものです。 同様に聖書には、「人は他人の称賛によって試される。」(箴言27:21b)ともありますから、人々からの誉め言葉という富によって有頂天に駆り建ててゆくサタンの罠にも要注意です。

あらゆる境遇に処する秘訣、それは、

「わたしを強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」(13)と、パウロはその秘訣を披露します。「どんなことでもできる」とは「あらゆる境遇に対処することができる」という意味でのどんなことでもできる、ということですが、それは、例えば自分の欲しいものを祈って自分のものにする「でき

る」という意味よりも、新車を買うお金がなくて今ある中古車によって満足することができるというような意味での「できる」です。

パウロは言います。「わたしを強くしてくださる方によって、何事でもすることができる」(13)と。「I can do all things through Christ !」この英訳では、「キリストを通して」と明記されています。「あらゆる境遇に処する秘訣」それはキリストです。キリストによって全てが可能であるというのです。これが、私たちに与えられている霊的財産です。どんな状況の中でも、それでも打ちひしがれず、希望をもち、平安でいることができるという力なのです。

1章からキリストはわが生命、わが模範、わが目標と証ししてきたパウロは、第4章に至って、「キリストはわが能力」と確信をもって証しするのです。

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