10月26日 礼拝メッセージ

メッセージ 『ここに愛がある』

聖書 ヨハネの手紙第一4章7-10(新p483)

メッセンジャー 高江洲伸子牧師

「アメージング・グレイス(素晴らしき恩恵)」は、どのようにして誕生したのだろう?
この歌詞はジョン・ニュートンが23歳になる年に、アフリカからイギリスへ帰る船の上で遭遇した大嵐の中での体験を元に書かれたものだと言われている。
1725年、彼は英国ロンドンに生まれた。
父親は商船の船長で母親は幼い頃から彼に聖書を読み聞かせていたという。
敬虔なクリスチャンだった母親は、彼が7歳の時この世を去っている。
彼は成長すると、父親の歩んだ道に倣って船乗りとなる。
そして色々な船を渡り歩くうちに奴隷売買にも手を染めてしまい…若くして莫大な富を築くようになる。
アフリカで人々を拉致して“奴隷船”と呼ばれる船に乗せる。
白人がおこなった黒人達への扱いは、家畜同様、もしくはそれ以下であったという。
当時は船そのもの衛生状態も非常に悪く、沢山の黒人達が航行中に感染症や脱水症状、栄養失調で命を落とすこととなる。
1748年5月10日、彼にとって人生の転機が訪れた。
船長として乗っていた奴隷船が激しい嵐に遭遇し、遭難沈没の危機に直面したのだ。
彼は今にも沈んでいきそうな船の上で必死に命乞いをしたという。
敬虔なクリスチャンだった母親に育てられながらも、彼が心の底から神に祈りを捧げたのはこの時が初めてだった。
彼の船は奇跡的に難を逃れ…かろうじて死を逃れることが出来たのだ。
彼はこの日を自分で“第二の誕生日”と名付ける。

多くの危険、苦難、誘惑の罠を通り抜けてきた
これまで私が事なきを得て来れたのも神の恵み
そして神の恵みは私を安息の地へ導いてくれる

その後、彼は6年間奴隷船で売買を続けたが…30歳を迎えた1755年に奴隷売買から足を洗った。
そして必死の思いで勉強をし、懺悔の意味もかねて教会に多額の寄付をして…心をあらためて牧師となる。
月日は流れ…1772年の中頃、47歳となった彼は、過去に罪深い奴隷売買に関わったことを深く悔い「こんなろくでなしの自分でも神は赦して下さった」という神に対する感謝の気持ちを込めて一曲の歌を書き上げた。
この歌には、彼の黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにも拘らず赦しを与えた神の愛に対する感謝が歌われているのだ。     (以上 TAP the TOP HPから)
1、 驚くばかりの神の恵み なんと美しい響きであろうか 私のような者までも救ってくださる
2、 道を踏み外しさまよっていた私を 神は救い上げてくださり 今まで見えなかった神のめぐみを今は見出すことができる
3、 神のめぐみこそが私の恐れる心を諭 その恐れから 心を解き放ちたまう信じることを始めたその時の 神の恵みのなんと尊いことか
4、 これまで数多くの危険や苦しみ 誘惑があったが 私を救い導きたもうたのは 他でもない 神の恵みであった
5、 主は私に約束された 主のみ言葉は私の望みとなった 主は私の盾となり 私の一部となった 命の続く限り
6、 そうだ この心と体が朽ち果て そして限りある命が止むとき 私はベールに包まれ 喜びと安らぎの時を手に入れるのだ
7、 やがて大地が雪のように解け 太陽が輝くのをやめても 私を召された主は 永遠に私のものだ
8、 何万年たとうとも 太陽のように光輝き 最初に歌い始めた時以上に 神のまぐみを歌い讃え続けることだろう              
 <82歳で召天したジョン・ニュートンの墓碑>  HP 世界の民謡‣童謡から                        薄れかける私の記憶の中で、2つだけ確かに覚えているものがある 一つは私が愚かな罪人であること、もう一つはキリストが偉大なる救い主であること> 

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