8月31日 礼拝メッセージ

メッセージ 『祈り』

聖書 マタイの福音書6章5-8節(新p9)

メッセンジャー 高江洲伸子牧師

祈りには、公に心を合わせて共同で祈る祈りと一人密室で祈る祈りがあります。マタイの6章5節には、「会堂や大通りの角に立って祈るのが好きだからです。」と書かれていますが、公の場で会衆を代表して祈る祈りとは区別されなければなりませんが、当時のユダヤ人社会で良く見られた風景でした。イエス様は、むしろ、「祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。」(6)と言われています。私たちもまた、密室の祈りの豊かな恵みを覚えさせて頂きましょう。

祈りは意志を要する
まず私たちは、自分の意志でみ言葉に従って、「家の奥の自分の部屋に」入って行く必要があります。そして自分の意志で祈りの座に座るところから祈りはスタートします。(6節) 「祈り」は祈ることによってその本質を知ることができます。

戸を閉める
イエス様は、「戸を閉めて」(6)と言われましたが、心を祈りに集中するために、後ろの戸を閉めます。それは、部屋の戸だけでなく、感情の戸を閉める必要があります。そうして、神様だけを思う隠れたところに行きます。ところが、一人になると、逆に、あれもこれもしなければならないと、様々な思いが起こってきて、祈りの席についているにもかかわらず、結局、祈りに専念するまでにはいかず、想念が忙しく巡り歩き、様々な思いに引き回されて、スコスコと立ち上がり、祈ろうとしていたことをも、結局、世の働き(動き回ること)でその思いを遂げてしまうことがあります。これでは、じっくりと霊なる神様との交わりをもつことも、神様のみ旨を知ることも出来かねます。ですから、その感情の扉も閉めましょう。そのためには、人間的な知恵を働かせることをやめることです。そして、黙想の時を持つことによって、イエス様に働いていただく機会をお与えすることです。

祈りの場所を定める
祈るためには、適切な場所が必要です。「隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」(6)とイエス様は言われました。神様だけを思い、周りに気遣うことなく、神様に向かって本心を告げることができる場所が必要です。その為には、人が絶えず出入りしている場所は不利です。人から少し隠れたところに祈りの場所を定めることは祈りの生活の大切なポイントです。イエス様は、「隠れた所におられるあなたの父をただ想像しなさい」とは言われず、「隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい」(6)と言われました。隠れたところで天の父は私たちが近づいて来るのを待っておられるのです。

素(ありのまま)の自分の姿で神の御前に出る
神様の目線は、人が人を見る視線とは異なります。人の目には、表れた結果や表向きのものがまず入ってきますが、神様はそうではありません。人は外の顔かたちを見ますが、主は心を見ておられます。私たちの心の様を神様はじっと見ておられます。ですから、嘘偽りの心で祈る祈りは神様には届きません。装飾語もみつぎものも必要ありません。心を裸にして、本当の自分の姿で神様に近づくと、神様と自分を隔てていた自己欺瞞や自負心、虚栄心といった不必要なものが見えてきます。(それは、非常に具体的です) 神と自分を隔てているものを神さまご自身が知らせて下さり、それを十字架の血の効力によって、取り去ってくださることによって、神様と私との間に真の交流が始まります。

祈りの習慣を身につける
あらゆることについて神とかかわる祈りの習慣を身につけることは、人生を豊かにする秘訣といえます。普段キリスト者は神に祈ります。しかし、その祈りの在り方によって信仰生活は潤いもすれば潤いを失くすこともあります。
一日の始まりに、隠れたところにおられる御父のもとで祈り始まるその一日は、どのような事に遭遇しても、そこに神の臨在を知ることができるでしょう。イエス様もまた、「朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈って」おられました。(マルコ1:35)
「あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです。」(4) 実は、主は私たちが祈る前からその必要を御存知でしたが、祈りの座へと私たちを導かれています。それは、神様が私たちに祈ることを求めておられるからに他なりません。それは、人に見せるのでもなく(5)、ことば数でもなく(7)、信頼関係による霊の交流を神様は願っておられるからです。

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