メッセージ 『あなたは高価で尊い』
聖書 イザヤ書43章4節(旧p1237)
メッセンジャー 高江洲伸子牧師
ナタナエル
イエス・キリストは今も生きておられて、人々を導かれていますが、地上に人として来られた2000年前にも、多くの人との出会いがありました。弟子のひとりのナタナエル。彼は、真摯に神の国のことを考えている真面目なイスラエル人でした。そのナタナエルを見て、イエス・キリストは、「この人には偽りがありません。」(ヨハネ:47)と言われました。ナタナエルは、初対面のイエス・キリストがなぜ自分のことをこのように言うのか不思議に思い、「どうして私を御存じなのですか。」(ヨハネ1:48)と尋ねています。するとキリストは、「ピリポがあなたを呼ぶ前に。あなたがいちじくの木の下にいるのを見ました。」(48)と答えられました。イスラエルの人たちは、しばしばいちじく桑の木の下で祈ることがあったようです。ナタナエルもまたピリポに誘われる以前、そこで祈っていたことも、全てキリストは知っておられたのです、このことを通して、ナタナエルの中にくすぶっていた疑い迷いが無くなり、「あなたは神の子です。」(49)との信仰告白と共に、その日を期してきっぱりとキリストが旧約聖書で預言されていたメシアであると確信をもって従っていったのでした。
全てをご存じの神
では、神様は、ナタナエルのような真摯に熱心に神の国を求める人だけを知られるお方なのでしょうか。そうではありません。イスラエルの人たちは、かつて、エジプトの奴隷だった頃、神様の特別な計らいでエジプトを脱出致します。はじめは脱出できたことを喜んでいましたが、やがて、その感動は、つぶやきにかわり、「飢え死にさせようとしている」(出エジプト16:3)という大きな不平不満に変わります。けれども神様は、彼らの不満に満ちた声をも聞かれて、天からのパンであるマナを降らせて彼らを養われます。ところがマナに飽きると、「ああ、肉が食べたい」(民数記11:4)と大声で泣いて言いはじめたのです。神様は、「肉が食べたい」と言い出した彼らの声をも聞かれ、風を吹かせて、海からうづらを運んできて彼らに与えられたのでした(同11:31)。このように、神様は、誠実で熱心だから知ってくださっているというのではなく、良きも悪しきも全てのことをご存じです。神様は真っ黒の岩の上を這う、一匹のアリでさえも知っておられるのです。子ども賛美歌の、「気をつけなさい。天から見てるお方がおられますよ」の一節が思い出されます。
イエス・キリストの視線と愛のまさざし
では、イエス・キリストの視線はどこに向けられていたのでしょう。「イエスは彼らがあれこれ考えているのを見抜いていわれた。」(ルカ5:22)、「イエスは彼らの心を見抜いて言われた」(〃11:17)。私たちの心にイエス・キリストの視点は向けられています。
ザアカイ、彼は取税人でした。当時、ローマに征圧されていたイスラエルの人たちは、同胞である取税人によって、ローマの為に高い税金を取り立てることが許せませんでした。取税人は、「ローマの犬」とも言われていました。その高い税金に更に上乗せして搾取していたザアカイは、人々から白眼視されていました。この頃、ローマの圧制から救うメシアとして人々の期待がイエス・キリストに向けられてきていました。ですから、キリストが行くところいつも人だかりができていました。けれど、ザアカイの心の思いはローマからの救い以上に、孤独な自分自身の魂の救い主としてキリストに向けられていました。「彼はイエスがどんな方かを見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。」(ルカ19:3)。それでも、イエスを見ようとして、彼は「いちじく桑の木に登った」のです。金持ちが着る紫の衣が引きちぎられても、人々から「子どものようだ」と笑われても、それでもザアカイはキリストを一目みたいと思い、木に登ったのです。葉っぱの陰に隠れるようにして、そっと、キリストとお弟子たちの歩みに目をとめていたことでしょう。ところがキリストは、彼が登っている木の下までくると、ピタリと歩くのをやめて木の上にいるザアカイを真っすぐに見上げて、「ザアカイ急いで降りてきなさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」(ルカ19:5)と言われたのです。ザアカイの驚きは如何ほどだったでしょう。「イエス様は私のことを知っておられる」、「イエス様は私を白眼視していない。」「私はイエス様に受け入れられている」。人々はキリストに向かってまで、「あんな罪人の家に行くなんて」と、文句を言いましたが、ザアカイは怯むことなく、「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」(ルカ19:8)と真実にその場で悔い改め始めたのです。そのザアカイにイエス・キリストは、「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」(〃19:9,10)と言いました。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)このみ言葉はイスラエルの民が神への反逆を止めなかった時に、預言者イザヤによって語られた神様のことばでした。罪人に語りかける神の御声なのです。なぜ、罪人が高価で尊いのでしょう。それは、御子イエス・キリストの命の代価が罪の贖いの代価として払われているからに他なりません。イザヤ43:4b