メッセージ 『すべてを益とされる救い主キリスト』
聖書 ヨハネの福音書 8章48-59節(新p198)
メッセンジャー 森英樹牧師(教団巡回牧師)
1.自分の罪の弱さの発見
「強いものになりたい」との思いではじめた柔道で、勝つためには反則さえしようとする自分の罪深さと弱さに気づかされる。
さらに社会人になっても「誠実」という仮面を被り、自分を守り支えようとしたが、「偽善者」という内なる声に苦しむことに。
2.偽りの救いと真の救い
聖書の権威のみを自分たちの救いに引きずり込もうとする統一教会でローマ7章に出会い、自分の葛藤の答えを求めたが、偽りの教祖に従う道へと迷い込む。しかしキリストの十字架が語られる教会で聖書の学びへと導かれ、ヨハネ8章58節「わたしはある」により神様であるイエス様との出会いが与えられる。
3.「わたしはある」と言われるイエス様
出エジプト3章で「わたしはある」とご自身を示された神様がイエス様ご自身。このイエス様こそが民の叫びを聞かれ、すべてのことを益としてくださるお方。イエス・キリストは私たちの罪と悲しみを担い、人生を完成へと導く神ご自身。人は真に畏れるべきお方を知るとき、罪の呵責、人生の迷いや恐れから解放される。
結論「アブラハムの生まれる前から私はある」と語られる神ご自身であるイエス様を告白し、全てを益とされる救い主キリストに信頼して一歩を踏み出す人生を歩ませて頂きましょう。