メッセージ 『油断することなく、あなたの心を守れ』
聖書 箴言 4章20-23節(旧p1097)
メッセンジャー 高江洲伸子牧師
9日(水)朝日新聞朝刊「折々のことば」、「心のスタミナが充分ではなかったので、マラソン練習には苦労しました」。元長距離ランナーの増田明美氏のことば。解説では、修行僧のような顔つきで走っていた増田氏を見ていた先輩走者が、「マラソンは楽しまないと続かない」と言われたとあった。なにげないことばの中に、あらためて、どのような心で物事に当っているか、その心が大切であることに気づかされました。
聖書が記す「心」
旧約聖書箴言4章23節には、「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く」と書かれていますが、口語訳聖書はこの箇所を、「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」と訳しています。
エレミヤ書は心について、「人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒しがたい。だれが、それを知りつくすことができるだろうか。わたし、主が心を探り、心の奥を試し、それぞれの生き方により、行いの実にしたがって報いる」(17:9,10)と書かれています。この箇所を新改訳第3版は、「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれがそれを知ることができよう。」と訳し、新共同訳では、「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。」と訳されています。心の信憑性を改めて垣間見る思いです。
イエス・キリストは「心」を木にたとえられて、「良い木はみな良い実を結び、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実を結ぶことはできず、また、悪い木が良い実を結ぶこともできません」(マタイ7:17,18)と仰られました。確かに肉眼で心の中まで見ることはできませんが、その人の日常生活を見れば、人の心の内実を知ることができるというものです。
聖書の原語からみた「心」
ヘブル語専門の北海道空知太(そらちぶと)栄光キリスト教会の銘形秀則(Hidenori Meigata)牧師は次の様に言われています。「エレミヤ書17:9(人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒しがたい)の原文には『人の』という言葉はありませんが、冠詞付単数の『心』 (「レーヴ」 לֵב)となっているために、新改訳と新共同訳では「人の心」と訳されています。 その「人の心」がなによりも「陰険、偽るもの、不正、とらえ難い」のです。 原語は形容詞の「アーコーヴ」 (עָקֹב)です。」
アーコーブは旧約で3回使用。動詞はアーカヴで、その意味は、「かかとをつかむ」「だます」「おしのける」「だしぬく」ヤコブの名前の由来とされています。ヤコブは名前の如く、人を欺き、押しのける性格をもっていました。
心が変えられたヤコブ
ヤコブの誕生 (創世記25章20-26節)
「月日が満ちて出産の時になった。すると見よ、双子が胎内にいた。最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それで、彼らはその子をエソウと名づけた。その後で弟が出て来たが、その手はエソウのかかとをつかんでいた。それで、その子はヤコブと名づけられた。」(24-26)
変えられるヤコブ (創世記32章24-28節)
「その人は言った。『あなたの名は何というのか。』彼は言った。『ヤコブです。』その人は言った。『あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。』」(26,27)
このように、ヤコブは生まれながらにおしのける者でしたが、神によって彼は変えられ、ヤコブ(おしのける者)からイスラエル(神の皇太子)に変えられました。迫害者からキリストの僕に変えられた使徒パウロは言っています。「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」(ローマ3:23,24)。さらに、コリント人への手紙第二5章17節では、「誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」と。人の心は、神によってのみ造り変えることができるのです。
私たちは生きている限りこの心を「油断することなく」守らなければなりません。猜疑心や不信に囲まれると心は枯渇してしまい、生きることにも疲れてしまうでしょう。サタンもまた、どこから人の心を打ち壊そうかと狙っていることでしょう。キリストにあって、罪を認め、イエス・キリストの命の代価が支払われて新しくされた「心」ほど尊いものはありません。頂いた「心」を神と人の前に正しく守りぬきたいものです。