メッセージ「ピリピ教会の起こり、それは偶然か必然か」
聖書 使徒の働き16章6-12節(新p267)
メッセンジャー 高江洲伸子牧師
横浜栄光教会にも始めがありました。それは、アメリカにおられたエクサム姉に日本で幼稚園を作りたいという強い願いが起こされたところから始まります。私たち日本人は、キリスト教は欧米の宗教だと思っている人は少なくありません。日本やアジアに仏教の寺院があちらこちらにあるように、ヨーロッパには沢山の教会がありますが、そのヨーロッパの教会にもまた最初に設立された教会がありました。 パウロの第二回目の伝道旅行 使徒パウロは大きくは三回の伝道旅行に行っています。第一回目の伝道旅行では、ユダヤ人以外の人たちに宣教の火蓋がきられ、まず、アジアの諸国に向かって伝道が展開されてゆきました。第二回目の伝道旅行は、第一回目に伝道した諸教会を励ますために計画されたものでしたが、出発して間もなく、彼らは、「アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられ」(6)たので、一行は北方のビティニアに方向を変えました。けれど、これもまた「イエスの御霊がそれを許されなかった」(7)のです。そこで、西北に向かい、ミシアを通ってトロアスにくだりました。その海の向こうはヨーロッパです。あちらに行き、こちらに行き来しながら、行き着いた所でのその夜、パウロは幻を見たのです。そこでは、「一人のマケドニア人が立って、『マケドニアに渡ってきて、私たちを助けてください』」(9)と懇願していたのです。そこでパウロはマケドニア伝道が神の御旨であることを確信して、トロアスから船出。ネアポリスに到着いたしました。(11) ヨーロッパ伝道はこのようにして火蓋が切られました。人間の行き詰まりは神の業の始まりと言われている所以です。「そこからピリピに行った。この町はマケドニアのこの地方の主要な町で、植民都市であった。」(12)と記されています。
ピりピ教会の土台 パウロは、どの町を訪れても、安息日に祈りに集まる人たちを捜し、その人たちに福音を語りかけました。(13) ピリピの祈りの場とされると思われる川岸でパウロが待っていると、祈りに集まってきた人々、の中にパウロの話しに最初に心を開いた紫布商人のリディアがいました。(14) リディアとその家族が最初にバプテスマを受けましたが、それだけでなく、彼女は、「私の家に来てお泊りください」と懇願し、無理やりパウロたち一行を引き留めたところから、りディヤの家がピリピ伝道の拠点となったことは否めません。
イエス様も伝道する為にその町を訪れるとき、伝道を支援して下さる「平安の子」を備えていてくださることが福音書に書かれています。(マタイ10:11,12)
次に救われたのは、占いの霊につかれた若い女奴隷です。(16) パウロが主の御名によって、この女性から悪霊を追放すると、商売道具を失った彼女の主人たちは、パウロとシラスを捕らえ、長官たちの前に引き出し、二人は裸にされて何度も鞭で打たれ、牢に入られました。厳重な見張りを命じられた看守は、「二人を奥の牢に入れ、足には木の足かせをはめた」(24)というのです。「奥の牢」とは死刑囚の入れられるところです。ここでもパウロとシラスは、行き詰まりのどん底に入れられました。けれど、そのどん底で彼らの口からでてきたのは、旅に出てきたことの後悔でも、不平でも、つぶやきでも、人をののしることばでもなく、賛美と祈りだったのです。獄中真夜中の彼らのささげる讃美と祈りに囚人たちもまた聞き入っていました。すると、突然大地震が起こり、牢獄の土台は動き、扉は開き、囚人たちの鎖が外れました。しかし、誰も逃亡する人はいません。飛び込んできた看守は、自害するところから救われ、結果、看守一家は救いの恵みに与りました。 イザヤ書55章8,9節には、「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。…天が地よりも高いように。わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」と書かれています。1+1は2にです。けれど、神様は1+1が100にも、1000にもなさることができるお方なのです。 それから約10年後、パウロはローマの獄中にいました。そこは、「奥の牢」同様、あとは、ネロによる殉教を待つだけの場所でした。ピリピでは神様は地震をおこしてパウロを獄から解放されただけでなく、看守一家を救いに導かれましたが、ローマの獄中おいては、後は死を待つことがパウロの課せられたさいごの使命であったかもしれません。パウロはそのことを知っていました。その獄中から書いた手紙がピリピ人への手紙です。死を待つパウロがピリピ教会の人たちに書き送ったその手紙の内容は、「喜び」の勧めだったのです。押し迫る死への恐怖が無かったわけではないでしょう。けれど、パウロの心と魂は、天から注がれる聖霊による喜びで輝き、溢れていたのです。