3月23日礼拝メッセージ

『人の思いと神のはからい』

聖書:イザヤ書14章24-27節(旧p1190)

メッセンジャー:高江洲伸子師

イザヤ書は「小さな聖書」とも言われています。それは、聖書は旧約39巻、新約27巻。合わせて66巻の小さな書物で構成されていますが、イザヤ書は66章から書かれていて、特に40章からは趣が微妙に変わり、「慰めよ、慰めよ、その苦役は終わり、その咎は償われている、・・・」(1)で始まり、「荒野で叫ぶ者の声がする。・・・」(2)と、まるで、新約の恵みを預言しているかのように書かれていることも理由の一つに上げられます。

バビロンについて
「13章から23節までには、神が世界の歴史をどのように支配なさるかということについて書かれていて、特に、イスラエルでない国の歴史に関することも書かれています。13章1節に、イザヤに示されたバビロンについての託宣がありあます。バビロンというのは、世界史を見ますと古代バビロニアといわれ、紀元前2500年頃を帝国の威容を誇っていたといわれる国でした。それはバグダッドの南西に当たり、今日も考古学者たちによって発掘し続けられています。紀元前2500年頃は、アッカド文明といわれる古代バビロニア文明が非常に栄えた時代でした。」小林和夫著「イザヤ書講解説教」(p188)
「この古代バビロニア帝国の後に、サルゴン2世がアッスリヤ帝国を出現させました。神の民であるイスラエル民俗は、このアッスリヤ帝国によって紀元前721年に滅ぼされてしまいました。その後アッスリヤもまた、紀元前600年代に新バビロン(ネブカデネザル2世)によって滅ぼされてしまいます。こうしてアッスリヤが滅び、新しいバビロニア帝国が出てくるのです。」(p188-189)
こうした歴史的背景の中で、今朝のテキストのイザヤ書14章24-27節は書かれています。14章が書かれている時点では。未だバビロン帝国が起こっていない時代でしたが、北の方にアッスリヤ帝国が起こっていました。イザヤの預言では、続いて、アッスリヤに変わってバビロン帝国が起こり、そのバビロン帝国は神の民はひどい目に遭わせるけれども、神はその民たちをバビロンの手に渡してしまわないで、そこから救い出してくださる(歴史的には200年後に起こってくる事が預言されているのです。イザヤが預言したのはBC750年頃から700年だとして、約250年後にそのことが実現していっているのです。

14章12節「明けに明星。暁の子よ。どうしておまえは天から落ちらのか・・・おまえは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山で座に着こう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』」。この箇所は、神を計算に入れないで自分の力を過信しているバビロン帝国の姿を書いています。聖書学者の方々の中には、ここをサタンの起源として書かれているとまで言われているところです。それほどまでにバビロンは神を問題にしないで、自分が神であるという立場をとったのです。
「神の民、特に預言者の目から見ますと、そういうのはこの世、すなわち世俗という神に敵対する勢力のシンボルです。『見たければバビロン帝国を見るがいい』というので、バビロンはこの地球上に起こったのであると、イザヤは預言したのです。」(p195)と、小林氏は言っています。(神を問題にしないで、自分が神であると言う立場をとったバビロンの末路を見て、知りなさいという神の思いとしてのバビロン)

バビロンに象徴される人の思いと神のはからい
私たちもまた、この大きな歴史の流れの中で、イザヤ書を通して神様からのメッセージを受け取ることができます。「万軍の主は誓って言われた。『必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの図ったとおりに成就する。わたしはアッシリアをわたしの地で打ち破り、・・・』これが、全地に対して立てられた計画。これが、万国に対して伸ばされた御手。万軍の主が計画されたことを、だれがくつがえせるだろうか。御手が伸ばされている。だれがそれを押し戻せるだろうか。」(14:24-27) 
神様はどんなに強力な国であれ、人であれ、一時その力が用いられたとしても、必ず、その肉の力は打ち砕かれるというのです。

さらに、箴言19章21節では、「人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。」と書かれています。人生浮き沈みは誰にでも、どこにでもありますが、その背後に神が関わっておられるということを見落としてはなりません。私たちが、バビロンの興亡を知って、この世で何より畏れなければならないのは、人間の思いや働きかけ、また、この世の力ではなく、この世界の主である神様であることを知ることと、今どんなに繁栄している状況であっても、はたまた落ちぶれた状況であっても、神様のご意志が働かれる時、現状は変えられることを知ることです。それは、個人の人生の中においても、教会においても、世界においてもです。

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