『ローマでのパウロ』
聖書:使徒の働き28章16-31節(新p295)
メッセンジャー:高江洲伸子師
<ローマ到着後から殉教までのパウロの歩み>
2年間の第1回目の入獄。そこでは、パウロが自費で借りた家にローマ兵の監視がついている状態で、訪問客を自由に迎えることができたが、その後の歩みは使徒の働きに記載されていない。J・ストーカーは「パウロ伝」で次のように記している。「裁判の結果、無罪放免になって出獄し、もとの旅行をまた始めて、スペインとその他各地を訪れたが、やがて、再度逮捕されてローマへ送還され、そこでネロの残忍な手にかかって、殉教の死を遂げたというのである」。再逮捕に至った理由は、パウロが釈放されて間もなくローマの大火があり、ネロの大迫害が起こり、パウロも捕らえられて殉教に至ったとされている。
使徒の働きでは、パウロの第1回目の入獄の記事と共に簡略に閉じられているが、この時のパウロの状況を、3つの方面から知ることができる。(村上宣道著「使徒の働き」から)
1. ローマにおけるパウロの生活状態について。
ローマでパウロが16節のような好待遇を得られたのは、フェストや(26:31,32)百人隊長の報告書が有利に働いたものと思われる。ローマ行きは幾度も試みたもののその都度妨げられてきた(1:13)。にもかかわらず、今回は、囚人という形で旅費までローマの経費で支払われたのだ。パウロはピりピの手紙の中で、「私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立った」(ピリピ1:12)、「兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことで、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆にみことばを語るようになりました。」(1:14)と言っている。またピりピ人への手紙のさいごの挨拶では、「カエサルの家に属する人たちが、よろしくと言っています。」(ピリピ4:22)と書かれているところから、パウロがこうしてカエサルの親衛隊に守られている間に、彼らの間に福音が伝わっていった様子が推測できる。福音に生きようとする者には、環境や境遇、事情だけではなく、すべてが前進のきっかけとなる。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となる」(ローマ8:28)からである。
2.パウロとローマにいるユダヤ人について。
ローマに着いて三日後、パウロはユダヤ人の主だった人たちを呼び集めて(17)、ローマに来るようになった経緯を説明している(17-20)。パウロは町に入るとまずユダヤ人の会堂に行き、そこで伝道を始めているが、ローマでは自分から出かけて行くのは許されない身なので、ユダヤ教の指導者たちを招いたのである。そして、自分が捕らわれている理由を話しつつ、福音の何たるかを彼らに語ったのである。それ故に「私がこの鎖につながれているのは、イスラエルの望みのためです。」(20)と言っている。長い間イスラエルが望みとしていたメシアは出現し、救いはすでに実現された。「これが福音であり、その福音を宣教することがパウロの使命であり、自分が今縛られているのもそのためである」とパウロは告げている。このようにして、ローマにおけるパウロの福音宣教は開始されていったのだった。他の町々ではユダヤ教の指導者から迫害を受けたが、不思議なことに、ローマのユダヤ人たちは、パウロについて何の連絡も受けていなかったのである。それどころか、むしろユヤ人指導者は直接パウロから話しを聞きたいと思っていた(21.22)のだ。
訪れる人たちを迎える家がパウロに与えられていたことも福音の前進に役立った。そこに人々は集まり、彼は「朝から晩まで語り続けた」(23)。その説教の中心は、「旧約聖書に基づいてイエスが救い主であること」を証言することであり、「神の国」についてであった。パウロは十字架と復活によって完成された救いという福音の全内容を言い表した(8:35,9:15,20,18:25)。
パウロの語る福音に対して、「ある人々は彼の語る事を信じたが、ある人々は信じようとしなかった」(24)。福音はこれを聞く者に、信じるか信じないかの厳しい決断を迫る。「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」(Ⅰコリント1:18)とパウロは言う。
3.使徒の働きの結びとして。
「パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」(30,31)。記者ルカはこのことばをもって、さらりと使徒の働きの一書を閉じているが、ここからの展開には計り知れないものがある。
恵みのあるところに人々も集まってくる。どのような理由で来た人でも、パウロにとっては皆求道者に見えたかもしれない。「私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。」(ローマ1:15)と、パウロが切に願っていたローマ伝道は、このようにして実現した。しかも、「少しも妨げられることなく」である。記者ルカはこの最終章を通して何を伝えたかったのであろうか。それは、1:8の主のお約束どおりに、聖霊の力によって、証人たちを通して全ては実現されたという以外に、その答えはあり得ない。