『パウロの伝道旅行』(2)
-「エルサレム会議」そして、第二回伝道旅行へ-
聖書 使徒の働き15章6-12節(新p265)
メッセンジャー:高江洲伸子師
15:1-29 エルサレム会議
「モーセの慣習にしたがって割礼を受けなければ、・・・救われない」(1)と教えている人たちに対して、パウロとバルナバたちはエルサレムに行って話し合うことになりましたが、この会議は、ユダヤ教とキリスト教の違いをはっきりと区別する重要な会議となりました。ホーリネス教団の村上師はエルサレム会義について次のように記しています。「この会議の争点は、…救われるためにはユダヤ教の割礼が必要であるかどうかということなのだが、根本的な問題は、『律法と福音』というキリスト教信仰の本質にかかわることにあった。もし、ここで誤った判断がなされると、ユダヤ人を中心とするエルサレム教会と、異邦人を中心とするアンティオキア教会とは完全に分裂してしまうだろう。また、キリスト教はユダヤ教の一派と見なされて終わってしまったかもしれない。」(新聖書講解シリーズ「使徒の働き」p211)
初期教会においてペテロの存在、また彼の発言が人々に与える影響力は決して小さくはありませんでした(16:6-11)が、幸いな事にペテロはすでに、カイザリアで異邦人コルネリオの救いを通して、神様から「いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになった」(11:18)ことを体験として知っていました。それ故、(15:7-9)「異邦人が…福音を聞いて信じるようにされ・・・聖霊を与え…私たち(ユダヤ人)と何の差別もつけず、彼ら(異邦人)の心を信仰によってきよめてくださった」と大胆に証をしました。それだけでなく、「負いきれなかったくびき」(10)でなく、異邦人もまた「主イエスの恵みによって救われる」(11)と指摘しました。ペテロの発言を通して会衆は静けさを取り戻し、パウロとバルナバの証言に耳を傾けました(15:2)。エルサレム教会の指導者ヤコブは、ペテロの発言を全面的に承認し、アモス9:11,12を引用して、異邦人の救は神の御計画であり、「異邦人の間で神に立ち返る者たちを悩ませてはいけません。」(19)と議長採決を下したのでした(15:13-21)。このエルサレム会議を通して、「つまり、ユダヤ人クリスチャンは異邦人の回心者に、割礼やユダヤ教にかかわる律法を課してはならない。神の恵みによって『神に立ち返る』人は、ユダヤ人も異邦人も区別なくみな平等であることが確認されたのである。」と村上師は書き添えています。
15:30-39 パウロの第二回伝道旅行出発までの様子
マルコの同行について、パウロとバルナバの間に意見の違いが起こった結果、バルナバはマルコと共にキプロスに渡り、パウロはシラスと共に伝道旅行に出発することになりました。
※パウロの第2回,第3回伝道旅行動画(10分)
15:40-18:22 パウロの第2回伝道旅行
第1回伝道旅行は、アンティオキア教会から外国伝道の為の働き人として派遣されたのでしたが、第2回伝道旅行はパウロの個人的な発案によるもので、教会がこれを支援すると言う形をとることになりました。
パウロとシラスの一行はシリア、キリキア地方の諸教会を力づけて回りました。「彼らは町々を巡り、エルサレムの使徒たちと長老たちが決めた規定を、守るべきものとして人々に伝えました。こうして諸教会は信仰を強められ、人数も日ごとに増えていきました(4,5)。
その後、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたことによって(6)、マケドニアに渡り、ヨーロッパ伝道が開始されました。ピりピでは紫布商人リディアとその家族が救われ、占いの霊に取りつかれた女奴隷の霊媒師から霊を追い出したことにより投獄もされましたが、地震によって、看守一家が導かれ救われました。それだけではなく、第2回伝道旅行では新約の教会の良き働き手となる多くの人たちの出会いが多くありました。なかでも、アテネでのアクラとプリスキラ夫妻との出会いは、同じ天幕づくりをしていたパウロの同業者だったというだけでなく、パウロは彼らの家に住んで一緒に仕事をする良き仲間とされました(18:3)そ。そのような中で、「パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシャ人を説得しようとした。」(4)のです。
後にパウロは伝道旅行での心情を、「マケドニアに着いたとき、私たちの身には全く安らぎがなく、あらゆることで苦しんでいました。外には戦いが、内には恐れがありました。」(コリント人への手紙第二6:5)と吐露しています。また、コリント人への手紙第二11章では、「ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったこともあります。…労し苦しみ、たびたび眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたこともありました。」(23…27)とも言っています。これほどの災難に遭遇しつつも、「私は福音を恥じとしません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。」(ローマへの手紙1:16)とパウロは公言して憚らないのです。