1月19日礼拝メッセージ

『幻による導き』

聖書:使徒の働き10章1-16節(新p253)

メッセンジャー:高江洲伸子師

ペンテコステで聖霊が降り、福音は全世界に向かって宣べ伝えられてゆきました。8章ではエチオピアの宦官がピリポを通して福音を受け入れ、福音はアフリカ方面に向かって広められいきました。9章では、ヤッファを中心にアジアに向かって。そして、今日の聖書箇所10章では、カイザリアからヨーロッパに向かって広められようとしています。
天使の御告げを受けたコルネリウス
1節に登場するコルネリウスという百人隊長は、ローマでは名だたる名門の出だったそうですが、彼は、「敬虔な人で、家族全員ともに神を恐れ、民に多くの施しをし、いつも神に祈りをささげていた。」(2)のです。しかしコルネリウスはまだ救いを受けていません。37節によって、イエスのうわさを聞いていたことがわかります。そして、「四日前のこの時間に、私が家で午後三時の祈りをしていますと、なんと、輝いた衣を着た人が私の前に立って、」(30)と書かれているところから、祈りの中で、神様から導きを受けたのでした。ここでの「祈り」は原典では断食の祈りになっているそうですが、その熱心な祈りの中で御使いがコルネリウスに伝えた内容は、「ヤッファ」、「ペテロ」の実名、そして、「海辺にある、皮なめし職人のシモンの家に泊まっています。」(5,6,32)という非常に具体的な内容でした。

幻とペテロの宣教
  コルネリウスの指示を受けて、部下が皮なめし職人のシモンの家にペテロを訪ねる数十分(程度でしょうか)前に、ペテロもまた神様から一つの幻が見せられていました。「天が開け、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りてくるのが見えた。その中には、あらゆる四つ足の動物、地を這うもの、空の鳥がいた。」(11,12)。そして、それらの動物を「屠って食べなさい」(14)と神様はペテロに言ったのです。旧約聖書のことばを守っていたペテロは、「そんなことはできません」と答えると、神様は、「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」(15)と言われ、こうしたことが三度もあった後、コルネリウスの部下たちが到着するのです。しかも、「幻について思い巡らしていた」(19)ペテロに御霊は、「見なさい。三人の人たちがあなたを訪ねて来ています。さあ、下に降りて行き、ためらわずに彼らと一緒に行きなさい。わたしが彼らを遣わしたのです。」(19,20)と、まるで、演劇のシナリオ通りがそこにあるかのように、数分たがわない導きで、ペテロとコルネリウスの部下たちの出会いは導かれていっています。ペテロは招かれるまま、カイサリアのコルネリウスの家に彼らと共に行き福音を伝えました。アジア、アフリカに続いてヨーロッパの人たちへの伝道の確実な第一歩です。(おそらく、こうした記事と並行するかのように、ステパノの殉教から火を噴くかのように始まった迫害によって散らされていった人たちを通して、各地でユダヤ人以外の人たちとの福音の接点は、聖書に記載されているいないに関わらずあったことでしょう。)
今の時代においても、ペテロやコルネリウスのような幻を見て導かれる人もいれば、(例えば)友人がクリスチャンで教会に来るキッカケになったとか、家族がクリスチャンであったとか、単純なできごとのように見えても、その隣人や家族もまた、神様がお連れ下さらなければそこにはおられなかった人たちなのです。一人一人に福音が伝達されてゆく背後に神様からの御手の業を受けて今私たちはここにいます。
  マルコによる福音書16章15節「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」20節「弟子たちは出て行って、いたるところで福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばを、それに伴うしるしをもって、確かなものとされた。」。
夢からさめたペテロはその1時間ほど後にはそれまで全く知らなかったローマから派遣されてきていたコルネリウスの家で福音を語っていました、34節からは、コルネリウスの家で語ったペテロの説教が書かれています。こうして、そこで福音を聞いた人たちの上に聖霊が降り、バプテスマ式が行われたのでした。

幻と神の導き
  ユダヤ人のペテロは、罪人が救われるためには、まず、ユダヤ人にならなければならないと思っていました。けれども、彼は自分の理解を超える神のみことばの諭を受け入れ、異邦人もそのままで、神はきよられることを確信したのです。それは丁度、キリスト降誕の際、マリアの懐妊に不安を抱くヨセフに、夢の中で御使いが「その胎に宿っている子は聖霊によるのです」(マタイ1:20)と語られた時の様です。
聖書は、至るところで夢、幻を通しても神のみ旨を示しています。けれどそれらは、現実の出来事と表裏一体とされていることがほとんどです。決して、空をつかむようなことでも、突飛なことでも、奇想天外なことでもありません。神様はご自分がなされようとしていることを、熱心な祈りの中で、みことばを語り聞かせ、また幻を通しても示され、神が語られたことに心を開き、神の諭を受け入れて従う神の僕たちを通して実現してゆかれることでしょう。

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