12月22日第4アドベント・クリスマス礼拝

「神が私たちとともにおられる

聖書:マタイの福音書1章18-25節(新p1)

メッセンジャー:高江洲伸子師

メリークリスマス ご一緒に主の御降誕をお祝いできることを感謝致します。
イエス・キリストの名前は世界中の人たちに知られています。その教えや奇跡、あるいは、行われたすばらしい出来事の故に救い主になられたのではありません。イエス・キリストは誕生以前から御子として存在されていましたが、2000年前に、(人の姿で)人類の救い主として、地上にお生まれになったのでした。キリスト誕生約700年も以前に生存していた預言者イザヤは、「それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、乙女がみごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」(7:14)と御子の御降誕をすでに預言していました。

イエス・キリストの誕生の経緯
マタイの福音書1章18節に、「イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によってみごもっていることが分かった。」と書かれています。やがて、婚約者のヨセフの目にもマリアが身ごもっていることがわかってきます。当時のユダヤの習慣では、婚約であっても、一緒に生活していなくても、社会的には夫婦とみなされている状況でした。人生で最も大切な時に、ヨセフの心境はどのようだったでしょう。当時のユダヤでは、不貞を働いた場合、石を投げつけて死をもって償っても良しとしていたほど重大なことでした。そこで、「ヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。」(19)と言うのです。どれほど彼が苦しんだかは想像に難くありません。
マリアの不貞への疑惑以上に、「ことはどうあれ、マリアの命がかかっている。どうすれば良いのか」と思い悩むヨセフに御使いは夢で、「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っているの子は聖霊によるのです。」(20)とマリアの置かれている状況を説明します。更にイザヤ書から、「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」と、このことは預言されていたことであると告げるのです。福音書は、「インマヌエル」は、「神がわたしたちとともにおられる」という意味であると補足しています。

イエス・キリストの名前とその目的
更に天使は、「その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです」(21)と、イエス・キリストの名前のもつ意味と、誕生の目的をハッキリと告げています。「イエス」はギリシャ語。ヘブル語では「ヨシュア」。その意味は「主は救い」です。「キリスト」はギリシャ語で「油注がれた者」。へブル語では「メシア」です。ですから、イエス・キリストとは、油注がれた救い主という意味です。その名の通り、キリストは人々を罪の世から救い出すメシアとしてこの世に来られました。

主の母となるマリア
 ルカの福音書1章ではマリアが受胎告知を受けた時のことが詳細に書かれています。「見なさい、あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。」(31)と告げられたマリアの心境こそ大変だったでしょう。結婚前の自分にどうしてそのようなことが起こるのか、不思議がるマリアに、御使いは、「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。」(35)「神にとって不可能なことは何もありません」(37)とキッパリと告げる天使のことばをマリアはそのまま受け入れ、「私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」(38)と応答。マリアがこの言葉を受け入れるということは、マリア自信が不貞の妻と誤解されることも、石を投げつけれることをも覚悟しなければなりませんでした。み使いの語られた主のみ旨をそのまま受け入れ従うマリアに対して、御使いはマリアに変わって夫となるヨセフを説得したのです。そして、ヨセフはキリストを宿す身重のマリアを保護する者として神に用いられるのです。主に従う者に神さまは特別な配慮をしてくださることをここでも知らされます。「神が私たちと共におられる」とは、このようなことを意味しています。
1~17節はイエス・キリストの誕生に至るまでのダビデ家の系図が記載されています。5節「ラハブによってボアズを生み」このラハブは遊女でした。6節「ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み」と記されていますが、ダビデ王は忠実な臣下ウリヤの殺害を企み、妻のバテシバを奪ったのです。ダビデとバテシバの間に誕生したのがあの偉大なソロモン王です。これはどういうことでしょうか。それは、このような罪の世に御子は来て下さったことを明らかに示しています。御子は、罪に翻弄される人類の全ての罪を担って最後は十字架で贖罪の業を完成して、天に帰って行かれました。そのイエス・キリストは、今も十字架によって罪赦された者たちと共にいつもともにいてくださるインマヌエルの神なのです。遊女ラバブを、殺人者ダビデ王をも祝福された油注がれた神は、イエス・キリストを通して、いつも、私たち一人一人と共にいてくださるのです。ハレルヤ、メリークリスマスを心から!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次