『信仰と聖霊に満ちた人ステパノ』
聖書:使徒の働き6章1節-7節(新p243)
メッセンジャー:高江洲伸子師
6章に入り、「弟子の数が増えるにつれて、…苦情が出た。」そこで、必要に迫られて、組織作りが始まりました。教会役員会の起こりです。バックストン師は次のように記しています。「聖霊は、まず組織や設備をつくって段取りをして、それをお勧めになるのではありません。働きが進むにしたがって、必要に応じてどのように組織するべきかをお示しになります。」「神様はある時はある方法を与え、他の時には別の方法を与え、そうすることで勝利を与えてくださいます。私たちも、いつも同じ方法を用いなければならないということではありません。聖霊に導かれて働かなければなりません。教会の組織もそのとおりです。」(使徒行伝講義上p191)
福音宣教はいつの時代も様々な妨げがおこってきます。創世記で最初の人アダム夫妻を誘惑してきた悪魔は、さいごのさいごまで、この世を我が天下にしようと、あの手、この手で主の働きを妨害し、偽物や迫害で対抗してきます。6章では教会の人数が増えて行く中で、苦情が噴出(2)、ひび割れが起ころうとしました。そこで、弟子たちは、「神のことばを第一にする」(3)という方針を打ち出し、使徒たちが本来の働きである「祈りと、みことばの奉仕」(4)に専念することを重んじ、最初の役員の選出がなされました。幸いだったのは、「この提案を一同はみな喜んで受け入れた」(5)ことです。初代の教会は神のことばを一番重んじたのです。割れそうになった群れがまた一つになりました。このようにして、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たち7人(3)が選出されました。
結果、「こうして、主のことばはますます広まっていき、エルサレムで主の弟子の数が非常に増えていった。また、祭司たちが大勢、次々と信仰に入った。」(6:7)と記載されていますが、「祭司たちが大勢、次々と信仰に入った」とはどういうことでしょう。バックストン師は、「この祭司たちは、主イエスが十字架に釘づけられたとき、神殿の幕が上から下まで裂かれたことを覚えていたでしょう。…それまでこの幕のために至聖所に入ることができず、神様のご栄光を見ることができませんでしたが、この時から祭司でもだれでも至聖所に入って神様のご栄光を拝することができるようになりました。主イエスの死によって霊の恵みを得られると感じたことでしょう。」(使徒行伝講義上p198)と記しています。
ステパノ(6:8-7:60)
「さて、ステパノは恵みと力に満ち、人々の間で大いなる不思議としるしを行っていた。」(8)。ルカは7人の役員の中でも、ステパノは、「信仰と聖霊に満ちた人ステパノ」(5)と特記しています。美しの門の側でなされた奇跡をきっかけに、信徒の数も増えましたが、迫害もまた更に激しさを増してゆきました。聖霊に満たされ、人々の間で不思議としるしを行っているステパノを見ていたリベルリンの会堂に属する人たち(6:9※リベルリン「奴隷から解放されたユダヤ人、またはその子孫」)や外国から来た人たちとの論議が高じて、ついには、ステパのは「民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、ステパノを襲って捕らえ、最高法院に引いて」(6:12)行かれたのです。
7章は大祭司を前にして最高法院で堂々とキリストを証しするステパノが描かれています。その顔は「御使いの顔のように見えた」(6:15)とあります。「うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖たちが逆らったように、あなたがたもそうしているのです。」(7:51)と論激するステパノに「人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしていた。」(7:54)と記者ルカはリアルに書いています。凄まじい論争の末、「人々は大声で叫びながら、耳をおおい、一斉にステパノに向かって殺到した。そして彼を町の外に追い出して、石を投げつけた。」(7:57,58)のです。
ここで、「使徒行伝講義」を開いてみましょう。「6章で、聖霊に満たされた七つの実を見ます。第一は3節、世に属する職業に励むことができます。第二、7節において罪人が救われます。第三、8節において不思議をなすことができます。第四、10節において力をもって証しすることができます。第五、12節では迫害されます。第六、15節において顔が輝きます。第七、7章の終わりにペンテコステ力をいただいた死があります。」‥「今ここで初めてペンテコステの力をいただいた死を見ます。私たちは生活するためにペンテコステの聖霊を求めなければなりませんが、それと同時に、死ぬ時にもペンテコステの力を求める必要があります。ペンテコステの力をもって歩めば、これは神の為に明らかな証しです。そしてペンテコステの力をもって死ぬとき、これもまた大きな証しとなります。」(p203)
「一粒の麦は、地におちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。」(ヨハネ12:24,25) 真実に福音に生きる者の姿をここに見ることができます。さらに、「証人たちは、自分たちの上着をサウロという青年の足もとに置いた。」。ここから、福音は世界に向かって新たな進展の時期を迎えてゆきます。パウロの出現です。
※「証人たち」ユダヤの法的手続きにのっとってステパノを殺した人たち。