10月13日礼拝メッセージ

『最初の奇跡』

聖書:使徒の働き3章1-8節(新p236)

メッセンジャー:高江洲伸子師

「最初の奇跡」使徒の働き3:1- バックストン著「使徒行伝講義」から
3章は、「ペテロとヨハネは、午後3時の祈りの時間に宮に上って行った。」(1)という言葉で始まっています。ペテロとヨハネは数年前までは、仕事仲間であり(ルカ5:10)か一緒にバプテスマのヨハネから水のバプテスマを受けた信仰の仲間でもありました(ヨハネ1:40-41)。この二人について、バックストン師は次のように記しています。
「そのように、(ペテロとヨハネは)一緒にいて、一緒に主に従って、主の奇跡を見、主の教えを受けたのでしょう。後にペテロが三度主イエスを否認した時には。ヨハネがその言葉を聞きました(ヨハネ18:15)。けれどもヨハネの福音書20章3節を見ると、ヨハネはそのことでペテロを捨てなかったことがわかります。その後に墓へ行きました。また一緒に聖霊のバプテスマを受けました。今ここで心を合わせて一緒に祈ります。…だた…神様を礼拝するために宮に上りました。神様はたびたび思いとは違ったところで、聖霊に満たされた者を用いてくださいます。」 (p135-136)
午前9時、12時、午後3時に祈るのが当時のユダヤ人の習慣でした。使徒たちはこの習慣を踏襲(とうしゅう)していました。彼らが「美しの門」と呼ばれる宮の門に差し掛かった時、「生まれつき足の不自由な人が運ばれて来た。」(2)のです。この人は生まれてから40数年間(4:22)歩くことも、働くことも、立つこともできないでいました。自分の足で神殿に入ってゆくこともできず、信仰生活さえままならない状態でした。彼は善意の人々から「施し」を受けて生きる他何もできない状況の中に置かれていました。
 そこへ、聖霊を受けピカピカに輝いたペテロとヨハネが通りかかったのです。彼の目は彼らの放つ輝きに引き付けられたかもしれません。ペテロとヨハネは施しを求めていたその人の姿を見るなり、「私たちを見なさい」(4)と声をかけました。「彼は何かもらえると期待して、二人に目を注いだ。」(5)のです。
ところが、ペテロの口からでてきたことばは彼の期待していたものとは違って、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」(6)ということばだけでした。
この箇所をバックストン師は次のように注解しています。「この足の不自由な人は、ただその日その日の生活費をもらいたいと願いました。…私たちも時として、目の前のわずかばかりの恵みしか求めないことがあるのではないでしょうか。けれども神様は完全な潔めと完全な力を与えようとしておられます。
人の思いをはるかに超えた恵みを与えようとしておられます。いつまでも続く恵みを与えたいと思っておられます。聖霊を受けるとき、この恵みをいただくことができます。」(p137)と。そして、彼の期待以上のできごとがこの時起
こったのでした。彼は完全に癒され、立ち上がり、躍り上がって神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行ったのです。
続いて、この人の上に成された奇跡の足跡を辿ってみましょう。
1) 15,16節にこの出来事に対するペテロの説明が記されています。「しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはこのことの証人です。このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。」と。ペテロはこの奇跡が起こったのは「イエスによって与えられる信仰」によると言っています。マタイ
21:14には、ペンテコステ以前にも、「宮の中で、目の見えない人たちや足の不自由な人たちがみもとに来たので、イエスは彼らを癒された」と書かれています。この足の不自由な人はその時のことを聞いていたかもしれませんし、あるいは、その時癒された人たちが喜びながら帰って行く姿を見ていたかもしれません。そして、心の中でいつか自分も癒しを受けるチャンスが訪れることを願っていたのかもしれません。ともあれ、この人には、信仰による期待がありました。
2) そして、この時この人は実際に、「ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上が」(5)りました。彼はこの時主イエスを信じたのです。イエス・キリストは2か月ほど前に十字架に架かられて死んだ人でした。信じていない人から見れば、何の力も無い人です。けれど、ペテロが「イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい・」(5)と言ったその時に、彼はただその言葉通りに信じて立ち上がり、恵みを得たのでした。(マルコ11:22-24)
「そして彼の右手を取って立たせた。するとたちまち。彼の足とくるぶしが強くなり、踊り上がって立ち、歩き出した。」(7,8)。医者ルカらしい表現です。漁師のペテロに彼を癒す力があるはずがありません。ペテロはあくまで手を貸しただけです。ペテロ自身後に「この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザ人イエス・キリストの名によることです。」(4:10)と証しています。「イエス・キリストの名によって」とは、イエス・キリストご自身によってという意味です。そのイエスは、かつて、「わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。今まであなたがたは、わたしの名によって何も求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けます。」(ヨハネ16:23,24) と言われました。今私たちもまた、イエスの名によって必要一切を受けることができることができます。

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