6月23日ウェルカム礼拝メッセージ

『輝く命』 

聖書:コリント人への手紙 第二 5章17節(新p361)

メッセンジャー:高江洲伸子師

神学生時代、実がなり始めた時にはピカピカだったが、成長したらグロテスクに変形してしまっていたなすびを見た。原因は実がなり立ての頃受けた小さな傷によるものだった。人間の心もまた、幼い頃受けた心の傷によって、ゆがんで成長してゆくことがある。ゆがんだ心で物事を見る習慣は、他人をうらんだり、憎んだりするという実を実らせることがある。こうした悪循環はどうにもならないものだろうか。聖書は、傷つき悩みながら生きる全ての人に向かって、「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」(口語訳・コリント人への第二の手紙5:17)と語りかけている。神様は、人が自分の真の姿を正しく見つめるとき、そこから、新しく生まれ変わることができるセカンドチャンスの道を備えて下さっている。

罪の意識の始まり
ある日、イエス・キリストのもとに、律法学者ニコデモが訪ねてきた。彼は律法を深く学びそのように生きている人だったが、しかし、到達し得ない何かを感じていたのかもしれない。神の国を探究するニコデモに、キリストは、「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)と言われたが、彼はその言葉を理解することができない。そこで、キリストは、「人は水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」(ヨハネ3:6)と重ねて答えられた。その上、「風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこに行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」(ヨハネ3:8)と言われたのだ。
 キリストはここで、セカンドチャンスは聖霊の風がもたらすと言われている。それは、決して、人間の努力や立派な行いによるものではないのだ。聖霊の風が吹くと、私たちの心が揺れ、奥深いところに眠っていた罪の意識が目覚る。その時、私たちは、初めて私たちの虚偽の様に気づく。愛だと思っていたものが、実は愛に似た代償行為だったり、自己弁護であったり、自己実現だったり、ただただ自己満足していたに過ぎないものであったことに気が付いてくる。聖霊は別名「ワンダフルカウンセラー」とも言われ、私たちの心の歪みに気づかせ、内なる真実に目覚めさせ、そのことを通して、神の愛に気づかせてくれる。
神の愛と十字架による罪の赦し
「神は、実に、そのそのひとり子お与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)このことばは、66巻の聖書の真意が要約されていると言われている。まことのカウンセラーである聖霊は、このみことばの知らせる真実な神の愛を私たちが知ることを願って、私たちを導かれている。
  イギリスの作家C・Sルイスの書いたナルニア物語は、4人兄妹が主役として登場する。物語は、彼らがアスランの造ったナルニア国を訪れるところから始まる。三番目の兄弟のエドモンドは何も知らないままナルニアに入った時、美味しいお菓子に手を出し、雪の女王の手先になってしまう。結果として、三番目の弟は雪の女王の手から取り戻せたものの、雪の女王は黙っていず、古い掟を持ち出して、「自分たちを裏切ったエドモンドは死ななければならない」と訴えてくる。それは丁度、聖書に「罪を犯した魂は死ぬ」と書かれている如きだ。そこで、ナルニア国を造ったライオンのアスランが登場し、女王と取引をする。結果、エドモンドの代わりにアスランが変わりに殺されることになり、エドモンドは解放されることになるのだ。
C・S・ルイスは無神論に陥り、新たに神を見出したキリスト教作家としてイエス・キリストの十字架をわかりやすく人々に知らせたいとこの物語りを書いた。イエス・キリストが十字架の上で死んでくださったのは、罪の奴隷となっている者たちの為に、身代わりとなるためだった。父なる神は、罪から贖い出すために、罪のない御子を十字架の上で、罪の身代わりの犠牲とされたのだ。この物語りは、実にわかりやすく、百獣の王ライオンをイエス・キリストを象徴する存在として登場させ、贖いの死と共に、甦りもまた、書き表している。

新しい命
私たちの人生もまた、「神は、実に、そのそのひとり子お与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)アスランがエドモンドの代わりに死んだことを通してエドモンドが解放されたように、御子の十字架が私の罪の為でしたと信じる時、罪の支払う報酬である死の縄目から解放される。その時、私たちは、御子の命に繋がれ、新しい輝く命を得る、これが、神が私たちに備えられた神様からのセカンドチャンスである。

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