-いかに生きるか-十戒(7)『真実な結婚』
聖書 出エジプト記20章14節.(旧p135)
メッセンジャー:高江洲伸子師
横浜赴任3年2か月。数々の心温まるご夫妻の姿を拝見させて頂きました。その中でも一番の感動は、横浜のご夫婦間にはジェンダーからくる格差があまりが感じられないことです。日本の田舎には、今でもまだまだ男尊女卑的観念が根強く残っていて、女性であるというだけで口を紡ぎ、男の人に譲ってしまうという一面を持つ人がいます。強いられてという以上に、習慣的にそうしているように思えます。神様が女性を最初の人アダムのあばら骨の一つをとって造られたのは、手の骨から造ってアダムの使い勝手の良い道具として使用するためではなく、足の骨からとって足蹴にされるためでもなく、大切な存在として造られたのです。対等に互いに向き合って生きる。対等に対話できる存在として互いの前に置かれました。
ポール・トゥルニエは「人生の四季」の中で、「神が、人が一人でいるのは良くない」と言われて、人に彼(アダム)と性を異にする一人の女性を配偶者として与えられた時、神はこれによって人間に次のような課題を与えられたのでした。すなわち、人間は互いに適応するという一つの困難な課題に自分をさらけださなければならならなくなったのです。そして、その際、自分が屈服してしまうか、または相手を屈服させてしまうかによって葛藤を回避するのでなく、自己克服によって葛藤を真に解決しなければなりません。つまり、神は人間にほんとうの意味で成熟することを要求され、そのように人間をしむけられたのです。」(P66)と書いています。
イエス・キリストは、「情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。」(マタイ5:28)と言われましたが、その意図の中には、外側を良く見せようとする人間に、内面にある卑しい思いを神に向かわせて、真実な悔い改めに導くことでもありました。姦淫の女性に対して「わたしもあなたにさばきを下さない。行きなさい。これからは、決して罪を犯してはなりません。」(ヨハネ8:11)と語られたイエス・キリストの赦しの中にあって、一人一人が真実な結婚への努力をしなければならないことを知る必要があります。
聖書における男女
人間は「神のかたち」に創造され、「男と女」に創造されました(創世記1:27)。これは、人間の本質的あり方として、他者と交わりながら生きる者であることを示しています。第6戒<※殺してはならない>では人間の生命そのものの尊厳を命じていましたが、第7戒は人間は互いに交わりながら生きる者であるということを表しているとも言えます。
神の契約と結婚
KGK出版「聖書注解」は申命記5:18<あなたは姦淫してはならない>の注解で次の様に記しています。「神は、はじめに、結婚の制度を定め(創1:28、2:24、マタイ19:4-6)、それをご自身の民イスラエルに対する愛(ホセア6:1-6)と、キリスト教会との結合(エペ5:32)を象徴するものとして使われた。(その視点から見れば、)姦淫はイスラエルの不節操とキリスト者の背信(ヤコ4:4)を象徴するものである。」
旧約聖書の預言者に共通しているところは、結婚を神とイスラエルの契約の比喩と考えているところです。(ホセア所1:2 エレミヤ書31:31,32 イザヤ書54:5,6)そこから結婚もまた、夫婦間の重大な契約であり、主なる神が証人である以上、みだりに破棄すべきでないことは言うまでもありません。(マラキ書2:14)
しかし大切なことは、イスラエルの霊的姦淫を厳しく審かれる神は、そのあわれみのゆえにイスラエルをゆるし、これを再建し、自ら契約を更新されるということです(エレミヤ書32:36-41,31-34、ホセア書11:1-9)。神は、ホセアの妻が姦淫の汚辱にまみれていても彼女を赦すことをホセアに命じられたように、神の民とされても、不信仰になり、また、他の神々や偶像を抱く者たちに対しても、再び契約の相手として選び立てられるのです。
現代における結婚
性の解放が謳歌される今日、第7戒は、どのような意味をもつのでしょうか。「姦淫」をはじめ、それに類する歪んだ性のあり方は、人間のもつ自由の歪曲された表現でもあります。神様は人間に夫婦での素晴らしい交わりの恵みを与えられましたが、性の自由解放という名目のもと、神が備えられた特別な恵みを自ら放棄し、世の誘惑に身を任せてゆく時、その結果刈り取ることになる「罪の支払う報酬」を自らの人生の中に迎え入れることを心に銘記しなければなりません。
結婚は互いに向かいあって対話しながら生きるパートナーとして、神が選び合わされた者たちとも言えます。その交わりの中で、互いに生涯かけて忍耐強く「愛」を学ばされ、成熟させて頂いているのかもしれません。ある子どもは、「大人になることはやさしくなること」と言ったということです。結婚記念日に感謝を込めて一輪の花のプレゼントを用意し、また、間違ったことをした時に自然に一言「ごめん」と謝ることができる。そうしたやさしさの中で夫婦の愛が熟成されてゆく姿以上の真実な結婚の姿をどこにも見出すことはできません。